集合住宅におけるコロナ孤独死によるウイルス感染の影響

「朝異変なく 夜死亡で発見 自宅療養の57歳男性 新型コロナ」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200502/k10012415441000.html

という記事が流れた。数日以上前から発熱が続きコロナ検査してもらえず自宅療養中の50代の夫を朝に嫁が確認したところ問題なしだったのが夜帰宅すると亡くなっており、死後にコロナ感染が確認されたとのこと。

これなんかは妻がいたことにより死体の発見が迅速に行われたが、日本では夫婦のみ世帯と夫婦子供あり世帯と並び、単独世帯がとても多い。PCR検査の水際作戦が奏功している状況下では行政とホットライン接続されないまま謎の発熱に苦しみ、どこともつながれず、沈黙したまま亡くなる単独世帯は相当に多くなるだろう。最終的には変死として警察で扱われ、ほとんどのケースではPCR検査されずに、検査したところで3割は偽陰性なのだから多くが見逃されることになるだろう。コロナについて退院患者に二度検査を行うのも大事だが、初回検査も陰性時は二度以上行うことが必須なのだが、そして死体に対する検査は生きている人間に対する検査よりも重要度が高いのだが、こんな素人でもわかることをやっているケースは聞かない。

問題は、死体が発見されるために要する時間である。死体が発見されずに放置されると腐乱し、液状化し、ウイルス兵器と化す恐れがあるためだ。今回のケースで妻がいなかった場合どういう経路をたどるだろうか。

死体の発見は数日から数週間遅れることになる。これまでは気温が低かったことにより腐乱速度が遅く、まだ周辺に匂いが流出せずに発見されていないケースがありそうだ。これから夏にかけて液状化したコロナ死体発見報告が相次ぐだろう。コロナ死体が事後発見されたケースでは、その周辺ではすでにクラスター化している可能性があるのではないか。

 問題は、死体もコロナの感染源になるということだ。

「死体血液中に存在するウイルスの感染性に関する研究」

https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-16790367/

以上のことから、ウイルス感染血液は複数の温度条件で保存された場合でも、感染能力を維持されることを示唆している。
血液検体に存在するウイルス量により、本研究で行った保存期間より長期間感染能力を維持していることが考えられるので、司法解剖などの死後日数の経過した死体を解剖する際にもウイルス感染の危険性を十分注意する必要があると考えられる。

 これはHIVについての資料だがコロナも同様とみなせる。海外でもコロナ遺体とは遺族も対面できず火葬するしかないという状況がある。

これまで孤独死した死体が腐乱し、液状化し、清掃業者泣かせであることが報告されているが、コロナ孤独死した死体の場合、影響はどうなるのだろうか。

 

死体は放置されると腐乱して、液状化していく。身体中の体液が流れ出す。血液も当然流出する。流出したウイルス混入血液は一部は床下に滲出し、アパートの階下の住人を脅かさないのだろうか。一部は蒸発しエアロゾル化し、室外に流れ出し、アパートの隣人まで到達しないのだろうか。エアダクトや部屋の隙間を介して、アパートやマンション中にエアロゾル化したウイルスが蔓延しないのだろうか。

まさか液状化した腐乱死体をコロナ検査にかけることはしないだろう。死因不明社会の不明死因が一例増えるだけである。孤独死清掃業者は徹底した防備が必要になる。

これはつまり、ステイホームが仇となる可能性を示唆する。ステイホームが有効なのは一軒家に住む土地に恵まれた人々のみであり、アパートやマンションなどの集合住宅で暮らす人々にとって、ステイホームしたところで三密を防げないのである。オフィスであれば死体はすぐに発見されるが、集合住宅では発見されるのは液状化の全てが終わった後である。部屋は呼吸している。在宅勤務増加で自室喫煙者が増えクレームとなっているが、タバコの煙が届くのだからウイルスも届く。集合住宅は人が蝟集するオフィスそのものである。分煙すらされてないオフィスだ。そう、集合住宅なんてそもそもホームですらないということだ。集合住宅はオフィスなのだ。資本主義が人間を効率的に搾取するための装置でしかない。

もし同じ集合住宅の中に孤独死リスクを抱えた人がおり、実際にコロナで孤独死し、液状化して異臭が周囲に漏れ出してからでないと死体を発見できないということになれば、そのときはエアロゾル化したウイルスは全放出が完了したあとになる。多くの労働者は失職するため職場からの安否確認も途絶え、一人暮らしの人の安否を確認する人は誰もいなくなる。夏にかけてウイルスの驚異が減るという根拠の無い人々の願いも虚しく、夏にはコロナ孤独死が相次ぎ、液状化感染が相次ぎ、集合住宅がクラスター化する恐れはないのか。

死体から放出されるウイルスの危険度が普通のウイルスと比べて毒性が強いかといえば強いに決まっているだろう。何しろ人を殺せる能力を証明した直後の株だからだ。

コロナ孤独死が怖いのは、何も直接の死因はコロナに限らないということだ。失業で電気を止められて熱中症で死んだ人がコロナに感染していたら?失業で首を吊った人がコロナに感染していたら?コロナによる呼吸器不全や心筋梗塞脳梗塞で直接死ななくても、その人が孤独に死んでしまったらたちまちウイルス兵器になることだ。

コロナがつくづく恐ろしいのは人間を生きたままウイルス兵器にすることだが、コロナ孤独死した個体はもっと恐ろしいウイルス兵器と化す。

人々はやっと気づく。この世界は間違っていた。こんな生き方は間違っていた。この社会の仕組みは、持続不能だったのだ。

そんなことを、今さら言ったって無駄であって手遅れであるが、今僕たちに求められているのは、もう未来なんかではない。断じてない。残されたのは終末の過ごし方である。

コロナによって世界も文明も全部終わる。ここから先はウォーキングデッドの世界と何ら変わりない。西暦何年かに意味はなくなり、アフターコロナを何日生き延びたかを数えることの方が重要になる。これからは西暦ではなくコロナ歴で数えるべきだ。

だから何よりも個人の能力が大事になる。生き残れるかどうかは、自分の頭を使って情報収集し、判断し、決断にかかっている。組織や国は共同幻想だったことがバレてしまう。幻想の霧がはれた向こうにあるのは、個人の生存本能と知能のみによってお互いが奪い合うサバイバルである。

かつてニーチェは「神は死んだ」といった。今回死んだのは人類というヒトである。