寝ていると電話のバイブ音で目が覚めた。かばんをまさぐって携帯を取り出すとちょうど切れたのでかけなおすと地元の友人だった。ずいぶん久しぶりで突然の電話で驚きつつも近況を話していると元気になった気がする。最近残業と仕事の進捗の遅れと負荷の増大で疲労ぎみであり通勤ラッシュの満員電車と残業の抑制ムードの中で時間当たりの労働密度が増しており、正直、きつい状況であった。帰宅後も疲れきっており妻との会話もろくになく、今日なんかは愚痴ったら切れられた。向こうもいろいろあってずいぶんストレス負荷が高いようで切れ返すこともできずに微妙であった。労働というのは闘いである。ミスをしてすみませんではすまない世界は大変である。技術者というのは日に日に課題が発生するわけで、スキルが足りない時点でゲームオーバーである。冗談ではなく命をかけて仕事をしている気がする。それはやりがいを生むが、給料とは連動しない薄氷ではある。「解雇されたので起業します」http://kousyoublog.jp/?eid=2291という記事が話題になっている。心から応援のエールを送りたくなるような軽やかな奏でであった。著者は40歳手前みたいだが、このくらいの歳の人にとって、これからの時代は地獄であろう。もちろん私もすぐにそこへ混ざるわけでひとことではない。吉野家とか飲食店で働く40歳を超えたようなおじさんを見ると切なくなるものである。「起業バカ」を読んだことのある私としては、起業なんてバクチにしか見えないが。上記した記事で注目すべき点としては、40歳手前にもなり、かつ、それなりにキャリアがある男性が、解雇されたらしばらくの飢えをしのぐほどの蓄えもないという悲惨さであろう。私もそうである。二年間それなりに働いて妻のおかげもあって貯蓄できたお金は、たった一度の引越しでほぼ底をついてしまった。50万くらいしかなかったわけだ。今は残高5万ほどである。我々労働者は、奴隷である。ペダルをこぐことをやめて一息つこうものならすぐそこに死が迫るのである。「貧困化するホワイトカラー」という本に書いてあったが、現代の派遣というのは、労働の進歩どころか、20世紀初頭への逆戻りであるそうだ。いつでもクビを切れる安上がりな人材にうまみがあるのは当時の使用者側には常識だったそうだ。派遣などという非人道的な雇用とさえ呼べない仕組みは即刻廃止すべきとのことだった。大賛成である。なんのために働くのだろうか。私にとってそれは妻のためであるし自分の能力のためである。私は派遣先の会社に忠誠心など一切持っていない。私が残業をしているのは私の能力のためである。自らの夢のために甘んじる。しかし、私の周りには同じくらい残業しまくりな人たちがずいぶんいるが、彼らは何のためにがんばっているのであろうか。私のような夢があるようには思えないが。奴隷だからか。奴隷に目的は不要だから納得である。