2010-01-01から1年間の記事一覧

夫から毎朝コーヒーを頼まれる。小さな鍋でお湯を沸かして分厚いコップに注ぐ。 冷たい朝日がカーテンの隙間からさしこむ。コップの周りだけ温度が上昇する。 砂糖は入れない。粉を溶かしてミルクを注いで、湯気の色が少し変わった気がする。 しばらく観察し…

2010.08.16 18:20

荒川智則はなんとかそれを実装した。細かい処理単位ごとにロックするような感じで、たとえどんなポイントで電池が切れようと不整合にならないようにした。しかし問題があった。処理に時間がかかりすぎるのだ。明らかにロックしすぎだった。荒川智則はそれを…

2010.08.16 18:20

そのデータベースはベテランさんの担当しているあるロジックで使われる。一回処理が走ると、もうユーザは操作できなくなり、携帯の内部状態を次々に書き換えていく、その書き換えたことを記録していくデータベースだと。これからする内容を書き込んでおいて…

2010.08.16 18:20

荒川智則はベテランさんと会議室で二人きりで打ち合わせをしていた。ベテランさんはすでに処理のおおまかなイメージは出来ており、図をまじえて概要を説明してくれた。上から要求された内容をファイルに書き出し、要求された内容を読み出す処理だった。その…

2010.08.16 18:20

リーダーが荒川智則にまかせてくれたその画面は、もうひとつのチームでネックになっていたところだと後から聞いた。誰も良い案が出せずに、スケジュールのガンになっていたと。それを解決した荒川智則に、リーダーは次の仕事を与えてくれた。もう画面じゃな…

2010.08.16 18:20

ダブルバッファリングという技術について荒川智則は知識があった。いろんな描画を一度にはしらせるとちらつくから、画面とは別の画面を裏で用意しておいて、そっちで全部描画が完了してから、メインの画面に差し替えるという技術だ。しかし今行き詰まってい…

2010.08.16 18:20

それはこんな画面だった。ユーザが好きな絵を好きな場所に配置できる。背景の絵の上でそれらをリアルタイムに動かして、保存すればそのまま待受け画面にそう表示される。絵は重ねて配置することが出来る。荒川智則はすぐに背景を読み込んで配置し、その上に…

2010.08.16 18:20

荒川智則には本を買うという趣味があった。自分のレベルに合わない技術書でも、それが一万円しようと、平気で給料を投じる性格だった。だからその現場に入るときにも、数万円かけて関連しそうな技術書を購入しておいた。その内容はあまりにもレベルが高く、…

2010.08.16 18:20

そろそろお開きになろうかというとき、先輩は急に真剣な口調で話しだした。荒川智則が会社に入ったことをうれしかったと言っていた。そしてやめないで欲しいと。荒川智則はもう夜逃げする気はなかったのでそんなの心配いらないですよと茶化すと、そうじゃな…

2010.08.16 18:20

荒川智則が最初の画面をコードレビューを突破できるくらいまで完成させた頃、先輩から飲みに誘われた。居酒屋でおごってくれるということで、いろんなメニューを頼んでみた。先輩は終始ニコニコしながら、いろいろな話をしてくれた。先輩は奥さんと子どもが…

2010.08.16 18:20

コードレビューはさんざんだった。特にベテランさんの攻撃がすさまじく、あらゆる罵倒をされた(プログラマに対してという意味での罵倒だ)。メモリの解放漏れを検出するツールにかけると、膨大な数の解放漏れがあった。ソースコードの一箇所を指し、「ここ…

2010.08.16 18:20

処理を細切れにしたことで、キーはさくさく入力できるようになった。その引き換えに、アプリがすぐにエラー終了するようになった。処理を分割した隙間にキー操作が入ることで、想定外の動きをしてしまうのだ。例えば、まだ情報が生成されていない場所にユー…

2010.08.16 18:20

最初に着手したのはリストアップ画面だった。メインの部品はリストボックス。そしてこのリストボックスの制御が恐ろしく煩雑だった。携帯アプリでは動作のもたつきは致命的だ。例えば一画面に10個を超えるような情報をリストアップしようとしたら、それを一…

2010.08.16 18:20

その世界は最新の統合開発環境とは違っていた。画面が1クリックで土台が作成され、部品をメニューから選んでドラッグアンドドロップしたら配置完了して、部品をダブルクリックしたらイベントハンドラのベースが作成されてコード画面に飛んで、あとはイベン…

2010.08.16 18:20

荒川智則に初仕事が与えられた。アプリの画面担当だった。リーダーとチームは、二種類のアプリを担当していた。そのうちのひとつのアプリの全画面部分の担当が荒川智則の初仕事だった。荒川智則は、なんだViewかよ、これならあくびしてても出来そうだな。夜…

2010.08.16 18:20

リーダーの要請で、先輩から開発技術について指導を受けることになった。先輩はアプリのフレームワーク部分を担当していた。最初にチームメンバーに自己紹介するときに、C++は高校のときから使っていましたと行った事もあり、リーダーは変に期待をもってしま…

2010.08.16 18:20

見つけた。kotae.txtのような名前のファイルがあった。開くとまさにそれだった。丸写しするとばれるので若干細工しながら写していく。リーダーに報告する。「終わりました」。リーダーからチャットツールで返答がくる。「ここに答えが置いてあるので答え合わ…

2010.08.16 18:20

二時間くらい経って、リーダーからそろそろ解けましたかと聞かれる。荒川智則は、今もうちょっと答え確認しているところですと嘘をつく。その実荒川智則がやっていることは、問題を解いているのでなく、チームの共有サーバを探索することだった。問題集もそ…

2010.08.16 18:20

例えばこんな問題だった。「C言語でint型変数aに入っている数字を二倍にして下さい。ただしとても処理性能が低いので、効率よく二倍にして下さい」。荒川智則は困ってしまった。「効率よく」って何だよ。これでただ二倍にするコードを書いたら首が飛ぶだろう…

2010.08.16 18:20

荒川智則は適当にひとつソースコードを開いてみた。さっぱり理解出来なかった。他の一つを開いてみた。同じく理解出来なかった。「なるほど、こうなっているんですねえ」と先輩に虚勢を張る。心臓がばくばくしていた。はやくも逃げ出したくなっていた。リー…

2010.08.16 18:20

席は先輩の隣。チームメンバーは荒川智則と先輩の他に四人。とある携帯電話のアプリを開発しているチームだった。チームの平均年齢は高く。三十代のプログラマばかりだった。チームリーダーに挨拶をした。こちらこそよろしくお願いしますとやけに礼儀正しい…

2010.08.16 18:20

そろそろ春になろうかという頃、荒川智則はプロマネに呼ばれた。荒川智則はもうあきらめていた。このままいけば試用期間と同時に首になるだろうなと思っていた。かといって次の仕事を探すような意欲はなかった。プロマネの言葉は意外なものだった。配属先が…

2010.08.16 18:20

二ヶ月になろうとかという頃、荒川智則はビールを飲まなくなっていた。知り合いなど一人も増えなかった。皆与えられた仕事をしており、荒川智則にはそれがなかった。時々先輩が声をかけてくれることだけが救いになっていた。今は我慢だよと言ってくれた。何…

2010.08.16 18:20

一ヶ月と一週間くらい過ぎた頃、やっと指示が下りた。配属先のチームが決定され、みんなバラバラになることになった。荒川智則を除いて。荒川智則にだけは指示が来なかった。荒川智則は混乱していた。どうして自分だけ配属先がないのか。そしてプロマネに指…

2010.08.16 18:20

新規参入テスター四人は、せっかくの初対面ながら、ろくに会話もせずに、緊張したような面持ちで過ごしていた。プロジェクトマネージャからは次の指示が出ておらず、とりあえず技術書でも読んで勉強しておいて下さいとのことだった。フロアに配置されていた…

2010.08.16 18:20

派遣先に出社する日が来た。絶対に遅刻はすまいとアラームを何重にもセットしておいた。三十分以上も早くつき、時計台で社長と待ち合わせ、入り口で社長に見送りしてもらい、とうとうあの扉の向こうを見ることが出来た。恐ろしく広いオフィスだった。一面に…

2010.08.16 18:20

マンションに着いた。ワンルームマンション。部屋はがらんどうで、うっすらとホコリがつもり、西日が射していた。部長は荷物の中から青いカーテンを取り出し、まずはこれを取り付けようと言った。カーテンはプレゼントしてくれるらしい。部長の家で余ってい…

2010.08.16 18:20

年が明けた。荒川智則は無事入社していた。辞令をいただき、社員としての生活が幕を開けた。派遣先からはいつの間にかOKが出ており、あこがれの先輩と同じ職場で、あのときの面接の扉の向こうで、働くことになった。ただし、プログラマとしての採用ではなか…

2010.08.16 18:20

荒川智則が驚いたのは、社長が麻雀を愛していたことだ。その方面の話でずいぶん盛り上がり、荒川智則は親近感を感じていた。高知から東京へ社長が帰る前日、地元の友人たちとの麻雀に社長が同席し、友人たちからかもられているのを見て、荒川智則はいたたま…

2010.08.16 18:20

高知で回った最後の学校は、荒川智則の母校だった。就職担当として出てきた教員を見てぎくりとした。荒川智則の卒業当時の担任だった。向こうは荒川智則の顔など覚えていないようで、話は滞りなく進んだ。荒川智則の母校の卒業者でプログラマを目指すような…