記憶の統廃合

今日xkm走ったという記録をつける。明日もつける。しかしもしマラソン大会に出場したならば、今日走ったなどという記録をつける必要はなくなる。それまでの過去の記録は全て無意味となる。
一年間つけつづけたジョギングログは、たった一度の大して成果の残せなかった大会の記録で置き換えることができる。
甲子園と共に無為にした青春も最後の甲子園が過ぎることによって全て昇華される。
我々はそうすることで、もともと意味などなかった過去を無意味として片付けることができる。それまで無数のバラバラだったデータを一つに統合して扱うことができるようになる。それはマラソン大会になり甲子園になる。
過去を精算することなしに前進などありえない。扱えるリソースに限りがある以上抱え続ける過去が多いほど身動きができなくなる。
人の忘却機能によって脳の健全性が保たれるといっても果たしてそれがどこまで信用できるものか。もっと積極的に過去を減らしていくべきではないか。過去を精算するためには記録を残すことである。日々の記述をより統合できるカテゴリーとして記録することである。

数年来未解決としてあった課題が今日片付いた。
毎日違う女性と寝ることをライフワークとしブログに女性の写真とともにセックスの記録を残していた人のことだ。
その多くの記録はたった一人の子供で置き換えることができるのだ。彼はその子供が作られるまでその記録を続けなければならないのだ。

男性には強い性欲望がある。その無数性と多様性は大きい。家族を持つことでそれを一つにすることができる。どれだけたくさんの女性と寝ようがどれだけたくさんの衝動に苦悩しようが性は家族に集約されるものだとしたら、その問題はもう解けたのだと思う。