なぜ彼はクレーンに乗らなくてはならなかったのか
面白い指摘。てんかん持ちであることを隠さないと就職出来ないから構造的に隠し、そして事故を起こしたけど、その責任は彼本人のみに帰すものではなく、彼をそこに追い込んだ社会構造の問題でもあると。
てんかんに限らず、HIVだって感染者は隠すだろう。薬を飲んでればある程度一般人ぽい生活が送れる病というのはいくらでもあり、その病を会社や同僚に申告することのメリットが何もないどころかデメリットしかないのはどこにでも見られる構造。
要はこれはテクノロジーと政治による制度の問題である。てんかんHIVもテクノロジーとして完治できないから制度上病気持ちが病気であることを隠蔽して爆弾をかかえたまま一般人に混じって生活するという結果になる。
テクノロジーで解決できないひずみを政治が引き受け、政治とは所詮パワーバランスの操作しか出来ないから誰かに負を押し付ける結果になる。それは変えようがないし問題でもない。それが制度だからだ。誰かを守る制度は他の誰かを守らないし貶める。誰かを守るためのはずの制度はむしろ誰か以外のものたちを守るためのかりそめのものだったりする。
そもそも病気の問題ですらない。運転中に発動するのがてんかんだろうが心筋梗塞だろうが変わりは無い。そのとき目の前に通学中児童列が存在すれば突っ込んでしまう。大量の人間が車を運転している環境がある以上このような事故は起き続ける。
つまりこの問題は、テクノロジーで解決できない病気のせいでもないし、健康な人でも突然心筋梗塞になりうるせいでもないし、車社会のせいでもない。問題ではない。
全てはテクノロジーのせいなのだ。運転者の自意識が喪失した瞬間に車ごと爆発四散すれば事故は防げただろう。飲酒を検知する実験車があるように車はもっと運転者側の情報にアクセスする必要がある。歩行者と車が同じ平面空間に配置されている道路というテクノロジーを変えるだけでもいい。
私たちの社会はあまりにも未熟である。おもちゃみたいな技術しか存在しない。これだけの人間がいて、たったこれだけのことしか実現していない。
原発震災と同じである。責められるべきは無能なる全ての人類なのだ。