2010.08.16 18:20

高知で回った最後の学校は、荒川智則の母校だった。就職担当として出てきた教員を見てぎくりとした。荒川智則の卒業当時の担任だった。向こうは荒川智則の顔など覚えていないようで、話は滞りなく進んだ。荒川智則の母校の卒業者でプログラマを目指すような人はまったくといっていいほど出ていないようで、これまでで一番手ごたえがなかった。その元担任には、高校当時、指定校推薦というやつで行くことが決まっていた九州の八流大学を荒川智則が直前になって蹴ったため、ひどく迷惑をかけており、荒川智則は始末書を書いたことを思い出した。担任も家庭の事情は汲んでくれたようで、まあがんばれよと話を収めてくれた。そこでも社長は、この度荒川智則を採用することになったこと、荒川智則の紹介でこの学校へ人材募集に来たことを伝える。荒川智則の高校卒業からすでに五年が経っており、今更東京で採用されたなどとその間何をしていたのだといぶかしがったことだろう。荒川智則はその空白の期間、何もしていなかったのだから、いぶかしんだところで無意味だ。