2010.08.16 18:20

荒川智則は確かにプログラマとして採用された。しかし試用期間が実際に始まるのは年明けの一月からで、派遣先も決まっていない現状では、プログラマになった実感などなかった。工科大学の就職課で社長が事務員や教員とビジネストークをする。ここでも荒川智則はこの大学を訪れた縁として社長から紹介される。当時はプログラマの世界は景気がよく、高知工科大学を卒業した情報系の学生たちは選択肢が多くあり、荒川智則の会社のような小さなところにはとても人材を引き抜くことは出来そうにない気配を、荒川智則は教員たちの話しぶりから感じていた。社長も結局手ごたえを得られなかったようで、ただの名刺交換で終わった様子だった。荒川智則は一刻も早くキャンバスから出たかった。えぐられすぎた胸には何も残っていないような気分になっていた。キャンバス近くの学生たちが自主経営しているコンビニで腹ごなしをした。なごやかな雰囲気の店の奥には従業員として学生たちがいて、若い男女が楽しそうに会話していた。荒川智則は適当に食べるものを買って早々に外に出た。駐車場には餌目当ての猫がいて、荒川智則は買ったパンやおかしをちぎって放り投げていた。しばらくして社長も出てきて、二人でバスに乗った。バスから夜闇の中のぽつぽつとした街灯を見ながら、荒川智則は意識が消えてなくなるようにと願っていた。