2010.08.16 18:20

帰省の日、オフィス近くの駅で社長と待ち合わせをした。都会の駅は広く、待ち合わせ場所を間違えて時間をロスしてしまった。なんとか余裕をもって羽田空港に到着した。社長のおごりで喫茶店でカフェラテとベーグルを食べる。ずいぶんゆったりとタバコを吸う社長。搭乗口に行ったらもう搭乗時刻を過ぎていた。社長は二人分のチケットが無駄になると部長に怒られると困っていたが、別に乗り遅れてもその後の便に空きがあれば乗れることがわかりホッとしていた。しばらく待ったあと、次の便に乗り込む。三ヶ月も歩き続けた道のりが、飛行機だと一時間半で着いてしまい、荒川智則は苦笑を抑えられない。飛行機の中で寝てしまったらしく、社長からいびきがすごかったよ笑われた。荒川智則はすみませんと頭を下げる。高知龍馬空港から連絡バスで高知駅へ行き、そこから特急で実家のある町へ向かう。特急の中でも寝てしまったらしく、社長からいびきがすごかったよ苦笑された。荒川智則はすみませんすみませんと頭を下げる。父親に地元の駅まで迎えにきてもらい、社長と共に実家に向かう。社長には一番広い部屋で寝てもらうことにして、荒川智則は物置部屋で寝ることになった。その晩の宴は社長と父親がずいぶん盛り上がり、普段あまり笑うことのない父親を見て荒川智則は社長に来てもらってよかったと思う。社長はビールと焼酎のちゃんぽんで沈没してしまい寝室にひきあげた。寝る前にノートパソコンでメールをチェックしているのを見て、ビジネスマンだなと感じた。高知では龍馬学園というコンピュータ科のある専門学校と高知工科大学に社長を案内した。受付で社長が名刺を出し、就職課の先生を呼んでもらい、卒業生から人材を発掘するためのコネクション作りをするようだった。なぜか荒川智則もビジネストークの場に同席し、社長からその学校へ伺うことになった経緯として紹介される。まったく縁もゆかりもない学校へ来て話をするなどビジネス素人の荒川智則には理解できなかった。高知工科大学へ行くときは複雑な心境だった。その情報工学科は、荒川智則が高校時代入学を夢見た場所だった。高知にいて情報工学を進むなら、そこしかないという学校だった。真新しいキャンバス。地上十五階もあるドミトリー(学生寮)は地元でも有名で、あまりの人気に新入生でも抽選になる。そこへ入って日々プログラミングに打ち込むことが荒川智則の高校生活で夢想した生活だった。荒川智則の高校生活は当初は成績優秀者だったものの、次第に退廃し、高知工科大学への入学は厳しい状況であることを知り、さらにすさんだ生活を送り、結局家庭の事情もあってあきらめてしまった。その高知工科大学に訪れることになり、またキャンバス内を歩くことになるとは夢にも思わなかった。そこには確かにあの頃描いていたものがあり、夕暮れどきのキャンバスを闊歩する学生たちは、楽しそうに会話し、手にはノートパソコンを抱えていたりして、荒川智則は胸をえぐられるような痛みを覚えた。