2010.08.16 18:08

「私のような人間を拾って頂いたことの感謝を忘れたことはありません。最初の面接のとき、私は自分のスキルをずいぶん誇張しました。たぶん気付かれていたと思います。あの頃の私は、口先だけで何もできない本当に駄目な人間でした。そんな私に成長のチャンスをいただいたこと、派遣先の面接のとき、強引に私をねじ込んでくれたこと、本当にありがとうございます。あのとき拾っていただかなければ、今頃そこらへんの浮浪者になっていたと思います。今の私があるのは会社のおかげです。本当にありがとうございます。」
社長は黙って聞いている。荒川智則は思い出していた。荒川智則が会社に就職してすぐ、おりよく派遣先の面接を受けられた。派遣先の担当者は現場のマネージャで、携帯電話の開発をしているとのことだった。プロジェクトは数百人体制でやっていると。荒川智則はそこでの面接でもやはりしどろもどろで、相手のマネージャの関心のなさそうな態度にひどく心を傷つけたことを覚えている。社長はそのとき面接に同行してくれ(社長は営業を兼ねているので)、スキルに何の問題もありません。絶対に活躍できるのでぜひお願いしますと売り込んでくれた。社長も本心ではそんなこと思っていないだろうと荒川智則は余計に傷ついた。面接が終わったあと、感触がなかったのは社長も感じていたようで、まあ次があるさみたいな励ましをしてくれた。面接会場は開発フロアの入り口手前にあるロッカールームで、セキュリティカードで施錠された扉の向こうには、数百人の開発者たちがひしめいているのだと感じた。壁はガラス張りになっているわけではないので中の様子は分からない。防音されているらしく中の音はほとんど漏れてこなかったが、それでも激しい音声や、多少の笑い声や、なんだか充実しているような気配を感じた。荒川智則はほんの手の届く所に自分の夢見た世界があったこと、そこにやはり手が届かなかったことに打ちのめされた。面接の少し前、その現場にすでに入っている自社の先輩と現場近くの焼肉屋で社長と共に食事をした。社長は先輩に荒川智則を紹介してくれた。先輩は小太りのメガネをかけた人の良さそうなオタクという感じで、ちょっと髪が薄くなっていた。先輩はニコニコしながら、Cが出来れば大丈夫だよと応援してくれた。ぜひ一緒に仕事をしましょうと言ってくれた。荒川智則は絶対に面接を突破するぞと意気込んだ。先輩はこのあとまだ仕事があるとはやめに切り上げた。あの人と同じ現場で働きたいと強く思った。思い描いていたプログラマのまさにその姿だった。