拍手

ホッファーが自殺しようとするシーン。

ビンを包みから取り出している間、熱にうなされたような思いがかけめぐる。私はビンのふたをはずし、口いっぱいに一気にシュウ酸を流し込んだ。口中に百万本の針が突き刺さったようだった。激情に打ち震えながら、シュウ酸を吐き出した。つばを吐き、咳をし、唇をぬぐいながら、暗闇にビンを投げ捨てた。
つばを吐き、咳をし続けながら、急いで道に戻った。泥道を走り抜け、セメント道に入った。舗道に響く足音は拍手のようだ。興奮して、独り言を言いながら、群衆にたどり着くまで走り続けた。ランプも、点滅する信号も、鳴り響くベルも、路面電車も、自動車も、人間が作ったすべてが自分の骨身の一部のように思える。ひりひり痛むほどの空きっ腹を抱えて、カフェテリアへ向かった。
食事をとると、一本の道――どこへ行くのか何をもたらすのかもわからない、曲がりくねった終わりのない道としての人生という考えが、再び頭に浮かんできた。これこそ、いままで思いもよらなかった、都市労働者の死んだような日常生活に代わるものだ。町から町へと続く曲がりくねった道に出なければならない。

舗道に響く足音が拍手のようだ、というのがすごい。こういうレベルの表現にたどり着くのは本当に選ばれた人間だけだ。今の人たちは自分の足音さえ聴いていないだろう。耳はipodとつながっている。いつか走る足音が拍手に聴こえるときが来るものだろうか。道が曲がりくねっているということを一体誰が意識しただろう。曲がりくねった道を歩くことが生きる理由になるのだと認識できるだろうか。自殺というのはあっちの世界への回路を開く手段としてはありえる。もし命が助かって、引き換えにそれが得られるなら、それを得た人間は偉大な人間になれる。ホッファーがここで得たのはその種のものだろう。この世界にたくさん埋まっているワンピースのひとつ。だが今の人たちは自殺の手段からして間違っていて、死へ到達することがまずないリストカットや、痛みを感じない大量睡眠薬。戻ってくることの出来ない電車への木っ端微塵の道。その程度の代償で何が得られるというのか。近代麻雀最新刊ではヒトラーの部下が両目を潰して失明することでスーパーアーリア人への回路を開いた。参考にすべし。