あとで降った雨

「自殺者」解剖4%、犯罪見落としの要因に

統計がないなどとする警察本部を除く半数が回答した。過去には、解剖していれば犯罪被害者の見落としが防げたケースもあり、医学検査を尽くさずに自殺と断定する死因判断のあり方が問われそうだ。国内の自殺者の解剖率が明らかになるのは初めて。

自殺する人間は死んだあとに何がどうなろうと知ったことかと思っているだろうが、まさか解剖されるなんて想定外のはずだ。臓器提供意思表示カードで提供しないとするものは、悪意からではなく死後に体にメスを入れられることに拒否感を強く持つ。いくら死んだあとのこととはいえ、腹を掻っ捌かれるのは辛いようだ。自殺者もそこらへんは健常者と同じ思考回路を持つ。

中には、解剖を望む自殺者もいるのかもしれない。解剖は生理学・病理学的な死因は特定出来ても、心因性の自殺の原因までは特定出来ない。しかしひょっとしたら、解剖することで何かつかめるのではないかと期待するかもしれない。リストカットをする人間は明らかに視覚的な結果を期して傷をつける。傷をつけることによって自らの体内の一部が露出する。それが見たいがために切り裂く。内部が露出するのは一瞬で、すぐに血液があふれて塞がれてしまう。塞がったあともかさぶたを剥ぐことで追認行為とする。傷をつけるとは違う世界への回路を開く行為でもある。この世界ではないどこかを皮膚の下に見出している。
以前テロリストが人質の首を切り落とす動画がネットで流行した。その動画を見たとき何を思ったか。吐き気を催したかもしれないが決して目をそらせなかったのではないか。解離した部分からは大きな穴が覗く。そこからゴポゴポと膿のような血液がただれだしてくる。シューという音が聞こえる。世界のイメージが塗りかえられた人もいただろう。もっと知りたいと思ったはずだ。
生きようとする意志は外へ向かう。死のうとする人間は内へ向かう。自分自身だけが残された興味対象になる。もしそこでもっと知りたいと願うなら、自分を切り刻むしかない。自分を解体していくストーリーも面白いかもしれない。外科技術を持った人間が自分をバラバラにしていく。足をもいで手をそいで、その都度絶命しないように傷口を塞いで、最後は脳神経と接続したコンピュータを遠隔操作して目をえぐって、頭の皮をはいで頭蓋に回転ノコギリをうがつ。今きっと一番見たかったものが見えているはずだ。もう目はないけれど。グロテスクだけどそういう話もありかもしれないと思った。

雨に雨という名をつけたのは人間だ。その人間がいなくなれば雨を雨と呼ぶものはいなくなる。”雨”はずっとあとにも降るが意味空間とは切り離されている。しかし人は今なら、人間がいなくなってもう誰も雨と呼ばなくなったときの雨を雨と呼ぶことが出来る。私たちは今だけを生きているわけではない。過去には生きた痕跡が残る。そして未来にも痕跡を見出せるのだ。あなたの彼女はあなたとの未来を想像してくれているかもしれない。あなたの家族も、友達も、良い悪いに関わらず、誰かの風景の地平線にそっと置かれているかもしれない。そのためになら生きる意味はある。