ちょっとお兄さんと声をかけられる。署名集めのおっさんがいた。どこかの集中豪雨被害への国の支援要請の署名集めのようだ。立ち止まったが最後付き合うしかない。ボールペンを渡される。おっさんは署名用紙をめくる。すでに何ページか埋まっているようだ。一番左の列に名前を書いてくれと言われる。こんなん偽名でいいだろうと適当に書く。次の列は住所、そして電話番号、適当にデタラメな住所と電話番号を書く。こんなところでわざわざ個人情報を明かす馬鹿はいない。そしてここからが興味深いのだが、男は一番右の列を示した。列名は「カンパ」となっている。よく見ると上の方に署名している何人かは1000と書いてある。中には空白にしている人もいた。気持ちだけお願いしておりますなどと言う。俺はおもむろに0と書き付けるとペンを返却した。まったくとんでもない話である。ただの署名でさえ面倒くさいが良心のやましさに堪えかねて書いたがその仮面をはいでみればただの募金ではないか。しかもタチが悪いことにすでに俺は善意の人間になっていて署名をしたのである。そこまでやっておいて今更カンパを断りづらい。しかしよく出来たトリックで、男は巧みに指を使って俺の視線を左の列から順々にたどらせていった。おっさんが手に持ったままの用紙にペンを走らせる不安定さから視野も今書いている箇所に集中せざるをえない。そうしてたどり着いた右端の列にカンパの三文字。なるほど人間の善意とは段階的に小出しに引き出すのがテクニックなのか。このテクニックは覚えておいて損はなさそうだ。授業料くらい払ってやればよいのだがあいにくうちの家計は火の車である。こうして思い返してみれば、氏名も住所も電話番号も嘘を書いたがカンパの欄だけは0と本当のことを書いた。初めてついた俺の”本当”は善意とはかけ離れたものだった。善意のためにと嘘の記述をしておきながら最後の最後で裏切った。善とは何なのか本当とは何なのかわからなくなった。