盗作について

最近小説の世界にも盗作が盛んになったようだ。仮にもプロであるならば、盗作などというリスキーな行為はやってはいけないどころか、やるはずのないことだ。自ら作家生命を喪失させる爆弾の種を植え付けるはずがない。だが結果として盗作を認めてしまっている以上、他にどのような可能性があるのか。事故だったとは考えられないか。例えばプログラミングならば、自分のやりたいことを実現するコードを書くためには、それとは本質的に関係のないたくさんのコードを書かなければならない。しかしそういう所に時間を割くのは無駄なので、スタブで済ませたりフレームワークを使ったり既存資産を流用したりする。小説にも同じ手法は使えて、肝の部分さえ決まってしまえば、その間をつなぐ部分など本筋とは関係ない。しかしひとつの物語として完成させて評価するためには、隙間を埋める必要がある。そういうときに、他のプロが書いた資産を流用して当てはめてみて、全体の流れを確認するという作業は有効そうだ。そうして隙間を詰めて完成したはいいが、はてどこが流用部分だったか忘れてしまうというのはありそうだ。どこがどころか、誰の作品からの流用かさえ不明になってしまうとお手上げになる。GPL汚染みたいなもので、もはや自分のオリジナルがどれだったかも不明になる。これでは小説にスタブを使うやり方はとても使えたものじゃない。しかし作家としてはそれではあまりにも辛いだろう。毎回瑣末なとんちのきいているかもわからないキャラたちのネタ会話をひりださなくてはならない。小説の大部分はそういうものから出来ている。そしてその全ての小ネタはユニークでなければならないとくる。これではいくら無尽蔵なユーモアを持っていても枯れるのは時間の問題。ネットのひまな基地外に見つかって検証されて果てる運命なのか。このままでは作家は何も書けなくなってしまうだろう。文章のフリーソフトウェア財団のようなものが必要なのかもしれない。それにしても盗作とはおかしな話だ。ラノベというのはそもそもそこに登場するキャラクターの属性はどこから引っ張って来たものなのか。ラノベというジャンル自体が盗作そのものではないか。私小説とは根本的に違う。ネットや読者層や編集者の頭の中で雲みたいに浮かんでいる記号を模写しただけではないか。まるで黒人のひざに黒いあざがあると言って糾弾しているようなものだ。