奴隷になりきれていない

「はじめてのヘーゲル精神現象学』」を読んでいますが、大変おもしろいことが書いてあったのでここに報告する次第であります。
奴隷になりきれていないのがよくないという考え方の紹介です。
少し長いですが引用です。

「労働」は人間の真の「自由」(自立性)にとって本質的な契機である。主奴関係では、主こそ「物」に対して「自由」(支配権)をもつように見えている。だが、主の、物の消費と享受への「自由」は、じつは奴の労働に依存しているにすぎない。
これに対して、奴は自然(物)に労働を加えてこれを有用な財に形成し、生産する。またそれは、人の生産と能力の持続的向上につながるものだ。
この労働の能力こそ人間の自然に対する支配の本質力であり、奴は労働を通して力を身につけ、そして自分がこの本質力を持つことを直感してゆくのだ。
こうして奴は、主への隷属という経験を通して、つまり「死の威力」と「労働」と「奉仕」の経験を通して、はじめて自己の「自由」の本質的可能性を自覚するにいたる。

管理職とかえらい人たちはマネジメントとかかっこつけていますが、所詮技術はゼロです。対人折衝という誰にも出来る簡単なことしか出来ませんが、給料は高いです。僕たち技術者はまさに奴隷ですが、日々課題を解決して自らにスキルを蓄積できています。僕は不満を持っていました。どうしてあのえらそうな人たちは何の能力もないくせにあんなにえらそうに高い給料と安定を得ているのだろうと。不満で不満で、逆に辛く難しい仕事ばかり押し付けられているのに給料は中国人並みという自らの境遇を嘆きました。不満ばかり募っていました。しかしむしろ奴隷であることを受け入れようと思いました。もっと奴隷になりきって、身も心もぼろぼろになるくらいに仕事をしようと思いました。えらそうな人たちみたいになりたいとはどうしても思われないのです。いくら地位があって仕事が楽で将来が保証されていても、です。何故なら頭が悪いということは最高にかっこ悪いからです。この世界で一番かっこいいのは頭の良い人間です。人生の全てを注ぐ価値があるのはそれを鍛えることだけです。