人間の本気がまったく評価されていない

ニュースで高卒就職状況がひどいとやっていた。国が補助金をつけてもなしのつぶてで(この補助金がまた笑えるほどすずめの涙なのだが)、中小企業も自分たちで手一杯で即戦力しか求められないと。高校を卒業したての若者に出来ることなどたかがしれているので、仕方がないのだろうか。だがそれなら大卒だって同じのはずで、大卒よりも高卒の求人状況が悪いというのは日本のゆがみでしかない。
私も思うところがあって地元の求人情報を検索してみると、なんともため息しか出ない状況だった。看護師、介護士作業療法士、薬剤師、と、どこを見ても「し」ばっかりついた求人ばかり。もちろんそれ以外にもたくさんある。しかし、ほとんどが、有期雇用もしくは営業であった。契約更新なしなどと初めから明記している労働者を馬鹿にしているとしか思えない求人も山ほどあった。更新可能性ありなどと書かれているものもある。可能性ありっておちょくってんのかよ。給料はもちろん十万円前後である。二十万を超えているものは「し」がついているものだけ。つまり、正社員として、最低限の保障を求めるならば、資格を持っていなければ人間でさえないという状況だった。
じゃあ薬剤師になろうと思っても、なんと六年も学校に通う必要がある。じゃあ作業療法士ならばと思っても、三年以上学校に通う必要があるようだ。介護士も二年以上の学校もしくは実務経験三年以上だと。
貧困が再生産されているという。親が貧乏なら子は大学や専門学校に行けない。大学に行けないと資格も取れない。資格がないと仕事さえ出来ない。
しかも、上記のようなべらぼうに長い学習期間が最低必要となるなら、若者は一度自分の職業を選択してしまったら、もうやり直しは絶対にきかない。なぜならひとつのコースの学費だけで、一千万は軽く超えるだろうから。親にメガンテさせているようなものである。もうその仕事を一生やり続けるしかない。その仕事であぶれてしまったら、首でもつるしかない。
私はもう二十代半ばを過ぎており、家族もあり、今更学校に行ける金も時間もない。つまり私はもう二度とまっとうな仕事につくことは出来ない。
資格で門を狭めるのはいい。しかしその資格を得るために必要な時間と金があまりにもでかすぎる。金は死に物狂いでなんとかなっても、時間はどうしようもない。学校に数年間行っている間に家族は飢えてしまうだろう。
人間を馬鹿にするなと思わないだろうか。薬剤師になるのに六年なんて必要だろうか?一年もあれば充分だろうが。薬の効用なんてぐぐれば小学生でもわかるわ。他の資格もそう。人間が本気になれば、一年で充分。その人間が必要な技能や知識を習得しているかどうかを試験で測定しているのに、そのうえ最低何年は学校に行っていなくてはならないなどおかしくないだろうか。国ぐるみで資格ビジネスとは恐れ入る。
何十年も患者を治療してきた医者が医師免許を持っていないというだけで逮捕される。どんなに優秀な結果を出しても紙切れがなければ一瞬で疎外される。ペーパーテストや実技テストで測れる範囲などほんのさわりだけでしかない。試験ではその人間の能力はとうてい測り得ない。池田信夫だかが資格など一切不要と言っていた気がするがまったくその通りである。裁判を闘える能力のない人間が弁護士事務所を開いたりするわけがないのだ。大学で勉強したことが企業では一切無駄だから忘れろと言われる。資格取得までに勉強したこともその職につくと同じになる。結局実務が全てなのだから初めから無条件に実務につかせればよいではないか。
世の中の大概のことは簡単である。簡単なことなのに、資格のせいで途方もなく不可能になってしまっている。薬学部の六年の根拠なんてあるのだろうか。年寄りどもが若者から学費をむさぼるためだけに長く設定されているだけである。その人がその職業にふさわしいかの指標はその人が本気かどうかそれだけである。どれだけ無能な人でも一年本気でやればマスターになれる。だから全ての学校は一年でいい。必要な技能に達しているかは試験で測ればよいのだ。それが出来ない試験ならそもそも無意味だということになる。
既存の弁護士どもが自分たちの仕事が減るから法曹人口の拡大をやめろとすねている。老害どもが自分たちのくいぶちがなくなるから若者の雇用抑制をしろという。結局はそれが本音なのだ。資格に要する時間要件がべらぼうに長いのは、すでにその職についている老害たちの平和を守るためなのだ。もう馬鹿馬鹿しくてさっさと生活保護でももらった方がよっぽど利口である。