若者と起業

ちきりん氏が若者に対して辛らつなことを言っていた。ここから先の就職氷河期はもう融けないから若者はどんどんまっとうな職には就けなくなっていずれは起業するか海外へ逃亡するしかないという。海外へ逃亡するという選択肢は不可能そうに見えるが起業だってかなり厳しい。
だがもし若者に起業しか選択肢がないのだとしたら、それはどういう形態が可能だろうか。起業というと、何やら勝手に不労所得やら権利収入やら、オートマチックに稼げる仕組みを思い描いて、そんなにことは単純じゃないよとあきらめる人も多そうだが、それは、起業を大金を稼げるということと安易に直結させすぎである。そうではなくて、これからは起業しか選択肢がないのだとしたら、大金を稼ぐことではなく、一ヶ月なんとか食いつなぐだけの金額、せいぜい15万円くらいを生み出せる起業というのがフォーカスになる。そうなると不労所得なんてどうでもよくて、自分の体ひとつで、一ヶ月フルに労働して15万になる仕事というのが重要になってくる。そもそもどうして15万円かつ肉体フル労働がフォーカスとなるかというと、若者には原資がなく、店を出す金も、客を集めるノウハウも、客を紹介してもらえる人脈も一切ないし、就職出来ない以上そういうものはこれから先も得ることがないからである。となると、駅前でホームレスが靴磨きをやっているような、駅のゴミ箱から週刊雑誌をかき集めるような、そういう方向の仕事しか可能性としてはないということになる。若者は気付いていないだけかもしれないが、ホームレスのやっている靴磨きや雑誌拾いは、立派な起業である。若者が躊躇している間にホームレスはとっくに時代の先をいっていたのだ。就職活動コンサルタントダブルスクールなどというものに無駄銭を払う軟弱な精神では若者はホームレスにさえはるか及ばない。
起業にはリスクがつきものだという前提は間違いである。確かに、土地を買ったり、フロアを借りたり、商品を仕入れたりと、一般的に商売を始めるにはかなりの額が初期投資として必要になる。商売のノウハウを得るためにも大金が必要だ。技術的物資的に、あまりにもリスクが高すぎる。何しろ軌道に乗り出すまで全て自己資金で運転させなければならないし、もし軌道に乗らなかったら首をつらなければならないような借金をかかえることになるのである。学生の中には、ただでさえ奨学金で数百万の借金を背負っての社会生活スタートを切るものもおり、その上借金を重ねるなど、あまりにも無謀である。しかし、ホームレスがやっている起業を見ればわかるように、起業にリスクをつけているのは若者の幻想である。ゴミ箱に手を突っ込むことだけで起業のスタートをきれるということを念頭に置かなければならない。
ところで、ITやWebなるものを活用すれば、初期投資も少なくリターンを見込めるというのは、それはもはや幻想だというのが世間の常識である。莫大な初期投資の上になんらリターンが見込めないのがITである。ITこそ、莫大な原資をもつものたちのみが戦いうるフィールドだ。若者の起業とは一番遠い場所にあるものと心得た方がいい。
しかし、以上の条件をまとめても、若者の起業はいぜん厳しいといわざるをえない。なぜなら、人はお金を払うとき、お金を払うというシステムにお金を払っているのである。みんながお金を払っているものにはわたしも払うが、しかしみんながお金を払っているかわからないものに対しては一銭も払わないのが人である。つまり、店を出して商品を置かなければ、人はお金を払ってくれないのだ。これはもう無限循環である。若者には金がない。金がないから商売を始められない。商売以外の起業には人はお金を払ってくれない。商売を始めるには金がいる。若者には金がない。
ところが、そうでもない。そもそも仕事がないというのが幻想なのだ。仕事がないから新しい仕事を作るために起業するという論理は、前提から間違っているのだ。仕事はある。それは三つもある。
泥棒と風俗嬢と詐話師(ネットワークビジネスもこれに含む)である。ちきりん氏は、若者にしか出来ない、老人には出来ない仕事を若者はすべきだと述べている。それはチャンスだと述べている。この三つの職業こそが、それである。この三つは全ての条件を満たしているのだ。原資はいらない。どんなに無能でも、どんなにもたない人でも、いつでもどこでもだれでも始められる。もちろん大金は稼げない。そうするとリスクが高くなるからだ。しかし、一ヶ月15万円稼ぐのだったら、これらは充分である。うしろめたい気持ちがあるかもしれない。犯罪だし、そんなことしたら人間関係壊しそうみたいない。いやいやよくよく考えてもみたまえ。君が犯罪をして悲しむ人なんてどこにいるのだ?壊すだけの人間関係なんてもっていないだろう?君が貧困に陥っているということは、全てのリソースから疎外されている証左だ。もう手繰り寄せる紐さえ残っていないのだ。それでも生きていかなくてはならないなら迷うことなどないのである。