支払われないエキストラへのギャラ

サスペンスではよくデパートの客やら東京都民やら日本国民が爆弾魔の人質にされる。数十人から一億二千万人まで、ドラマや小説の登場人物のセリフの中で、「デパートの客〜人の命を預かった」や「日本国民全てを人質に〜」などと単なる数字としてしか登場しないが、確実に私たちはその場面に登場しているはずだ。しかしこれまで一度たりとも、ギャラが支払われたことはない。これはおかしな話ではないか。
テレビの視聴率はある一部分の僅かな人々からアンケート収集した結果をもってして、日本国民の総意として、視聴率〜%であると算出する。私はそのようなアンケートに答えたこともないし参加したくもないが、勝手に答えたことになってしまっている。
私たちは、ただ生きているだけで、あらゆるものから搾取されるよう運命付けられている。言ってもいないことを言ったとされ、してもいないことをやったことにされ、ランキングやアンケート調査の発行元の思うがままに利用され尽くす。返礼を受けていないだけでなく、彼らの発話に反撃することさえ出来ない。雑誌に刷られた視聴者ランキングはもう書き換える術はない。我々の意思のようなものは瞬間瞬間に消えていくが、紙に刷られた結果は、それがどんなに恣意的に捏造されていても、消えたものよりもはるかに強い力を放つ。それは社会学的調査のサンプルとして事実としてさらなる事実の捏造の元にされるし、googleで検索したユーザの脳内に確固たる歴史として刻まれる。
現代では歴史の意味が変容しつつある。日本史や世界史としての現代の歴史は、現代を生きる人々にとって歴史としての魅力はないため見向きもされない。くずかごへ投じられたスポーツ新聞さながらに。代わりに人々がそらんじる現代の歴史とは、まさにアンケートの結果なのである。彼女にしたいランキングであったり、こんなセリフが乙女をときめかせるだったり、老後を暮らしたい町はこれこれしかじかだったり、そういった瑣末なランキングの結果を、各々が後生大事に抱え、家族の団欒や飲み会のネタとして、幾度も幾度も開陳される。カラオケを歌う度に著作権者には収入が発生するが、捏造されたアンケート結果に投じたはずの存在しない我々には一銭も入ってこない。まるで歴史みたい、である。歴史の登場人物は、さんざ利用されても返礼は受け取れない。生きていないのだから当たり前だ。しかし我々は生きているのだから、少しくらい支払ってくれてもよさそうなものなのに、誰も投げ銭さえしてくれない。これは究極のアンペイドワークであって、早急に解決すべき問題のように思われる。