ベーシックインカムについて

ニコニコ動画朝まで生テレビを見た。非常に面白かった。素人として一点だけ指摘しておきたい。
私はベーシックインカムには反対である。ベーシックインカムが完全導入されれば、今よりも圧倒的に不幸な人間が減る。しかし、不幸な人間が減ることはさらに多くの不幸な人間を生むことになる。
例えばクラスで特定の人間がいじめられている。よってたかってクラスのみんなから迫害されている。彼がいじめられてかわいそうだと考える人間がいるだろうか?むしろ彼がいじめられているおかげで私たちはいじめられずにおれるわけだ。彼を血祭りに上げることでクラスの秩序は成り立っている。「構造と力」にも書いてあったがスタティックな世界の安定のためには全員一致で一人を殺して犯すことがキモらしい。今はスタティックではなくダイナミックな世界となってしまったが、しかしスタティックな構造が消えたわけではないと思う。むしろスタティックさは遍在するようになったのだ。全員一致で一人を殺すのではなく、それぞれが各々のために殺して犯すための対象が必要とされるようになったのだといえる。となるとことは大変である。この世界の安定のためにはより多くの人間が殺されて犯されなければならないのだ。少し思いを巡らせば誰もが自覚せざるをえないように、我々は不幸な人間を必要としているのだ。自分よりも経済的に、人間関係的に、社会的に容姿的に能力的に劣っている人間が必要なのだ。食事をしておいしいのはどうしてだろうか?それはあなたよりも不幸な人間がいるからである。今日かじるパンの耳もなく死んでいくホームレスや黒人たちがいるからである。だからこんなにもおいしいのだ。食欲が人間にデフォルトなものだからといって、人類が進化しないわけはない。人間は食欲を補完するために不幸を必要とするようになったのだ。空腹だけでは足りずに不幸が調味料として必要なのだ。ホテルで女とヤッている男が幸せなのはどうしてか。それは女とヤることも出来ない哀れな非モテや性機能を失った障害者たちを尻目にしての幸福感である。全ての事象はトータルで1になる。そのピースを全て埋めるためには限りなく1に近い箇所にいるあなただけではなく、あなたにはなれなかった残り全てのピースが必要なのだ。もし駅前からホームレスが消えたら、サラリーマンたちはがっかりするに違いない。過激な陵辱ビデオの被写体となる女がいなくなったら、金のために奴隷のように振舞う女がいなくなったら、多くの男は不幸になる。みんな願っているはずだ。もっと多くの人が、もっと私よりも低い地位へ行って、へばりついて血を流してほしい。私という鑑賞者に気付かないまま、あきらめたり闘ったりしながら、無様に踊って欲しい。みんな不幸を食べて生きている。私たちが生きていくためには不幸が必要なのだ。絶えず供給され、時に血小板の濃さを調節されながら、血溜まりの中に転がる肉塊が必要なのだ。
ソウという残虐スプラッタ映画がある。その中では様々な人間がアクロバットな死に方をしていく。私たちは死んでいくキャラクターを見てただの空想として楽しんでいるだろうか。いや、空想ではなくリアルを感じているのだ。中国やインドに行けばああいう死に方はいくらでもあるだろう。AVを見て気持ちいいのは、そういう境遇におかれた女性が現実にいるからである。AVは不思議なもので、そこで行われていることは空想だが空想ではない。女はその場所でその時間に犯されているのだ。ソウの死体はあくまで演技だがAVは違う。そういう意味でよりリアルだ。
知性や芸術や人類の何らかの進歩は、全て犠牲を必要とする。ナチス強制収容所は人間の想像力に新大陸を発見させたのだ。ナニワ金融道が面白いのは自己破産して首をつる人間が実際にいるからだ。
落ちぶれた人間の話は、多くの人々に勇気を与える。闇金や人身売買は、通常の手段では調達できない種類の人間をおもちゃとして貶めることを可能にする。
もっと破産する人間が増えれば、もっと暴力をふるわれる人間が増えれば、陵辱されて逃れられない鉄籠の中で涙を流す人間が増えれば、世の中はもっと幸福になるに違いない。一度想像してみるといい。最低限で文化的な生活を全ての人が送れるようになったら、それは地獄だ。