工夫なんて、実は大して重要じゃない。「週末起業ビジネス」という新書を読んでて、成功事例の解説の中に、成功者たちの様々な工夫が書かれていた。工夫だけあって、なるほどと思うようなTipsが満載だった。早朝や通勤などの隙間時間を有効活用するようなものから、起業家フォーラムでの情報収集や、何よりも著者のように、雑魚どもの射幸心をあおって週末起業コンサルタントでがっつりむさぼるというのがうまい。ビルゲイツは成功の秘訣は何ですかという質問に対して、「私は他の人よりも多くの失敗をしたから」などと答えていたようだ。多くチャレンジしたからその分チャンスもあった的な。成功の理由を分析するのは難しい。そういう成功の秘訣や工夫のどれもが、本質ではないんだろうなと思った。普段仕事をしていて、工夫というのはいくらでもある。ルーチン作業を改善するためにちょっとしたスクリプトを書いたりなんて誰でもしていることだ。しかしそういう周辺的な作業よりも、メインの設計やコーディングやバグ取りの方が比重はかなり重い。しかし、そういうところにはちょっとした工夫はなかなかやりづらい。工夫するくらいならじっくり腰をすえて考えた方が良いことが多い。成功者の他の人とは違う部分に注目するよりも、むしろ他の人と同じ部分に注目した方がよいのではないか。そういう工夫がなくても結局その人は成功していたんじゃなかろうか。成功の理由なんて聞かれたら、誰でも人とは違うエピソードを振舞ってしまう。しかし本質は、本人の中にも沈殿してしまっているような、もっと日常的な地面的なものではないか。私はかつて友人がネットワークビジネスにのめりこんでしまったことがあり、ファミレスで囲まれて勧誘されたことがあった。私は友人を軽蔑した。金儲けのために友人を売り飛ばすというのが許せなかった。しかし今にして思えば明らかに、私よりも彼の方が先を歩いていた。この本での収穫は、「0円と1円は違う」ということだった。とにかく1円稼いでみろと書いてあった。週末起業予備軍の半数以上は0円だと。1円稼ぐ力があるならそっから先は無限大だと。この本のキャッチフレーズでもある「雇われる生き方がリスクになった」というのは紛れも無い事実で、この絶望的な不況は簡単にはやまないだろう。私自身、プログラマという職業にだいぶ絶望してきた。まったくキャリアパスが見えないのである。正社員だとか派遣だとかそういうのではなく、先がまったく見えないのだ。周りにいる30代のプログラマたちを見て、こいつらここをクビになったらどうなるんだろうと思う。恐らく終わるしかない。プライドをすり減らして最低賃金すれすれの飲食店とか清掃業で働くとかしか出来ないような気がする。仕事でするプログラミングなんて、簡単すぎるし、つまらないと思うようになった。ちょっとこれは、生涯ささげてる場合じゃないな、と。そういうことを考えてるとき、ナニワ金融道の新作が出ているのを知った。「新ナニワ金融道」という。青木雄二さんは死んでしまったからクオリティには期待できないなと思ってみてみると、その意思は継承されているようだった。この漫画を読んでいると、射幸心をあおられてしまうのだ。もっと自分を試してみてもいいんじゃないかと、思えるのだ。今が続くことなんて絶対にない。もっといろんなことにチャレンジしなくちゃいけないんじゃないのか。プログラマではダメだ。こんなものでは何も出来ないのだ。来月は仕事があるのだろうかとおびえるような生き方ではダメなのだ。それでは会社に飼われているただの豚である。柵の中は安全だが、最後は解体されて店頭に安値で並ぶだけだ。空を飛ぶ必要はない。ただ柵を超えるだけでいいのだ。