骨髄ドナーに登録して実際に針刺されたけど痛くて後遺症大変でしかも提供先はかわいい少女じゃなくて50代男性で謝礼金も出ないしやってられませんという記事を読んだ。常々思っていることに、善意というやつには反吐が出るぜというのがある。臓器提供登録とか献血とか募金とかやって悦ってる奴らは、最高に気持ち悪い。リサイクルとかと一緒で、そうしておけば、さも自分は良いことをした感があるわけで、世の中にはそういう善意中毒になっている奴が多い。その偽善ぶりには悪寒ものである。その迷惑ぶりはニコチン中毒と大差ない。煙の方が目に見えるだけマシとさえ言える。いい加減明らかになってきたように、リサイクルといっても、やり方を間違えてしまえば、むしろもっと悪くなることがある。実際に再利用されるのはマレで、悪質業者や悪徳政治家の温床になっている。直感的・人間的にいいことと思えることが、実際に最終的にいいことにつながってることなんて、どれだけあるのやら。だからシステムの可視化と監視は一番大事だが、善意の名のつくやつにはそういうのはほとんどない。骨髄の提供先の顔さえ知ることが出来ないのだ。そんなシステムに誰が乗っかるものですか。北朝鮮に物資を送ったらどうなるかみんな知ってるくせに、他の所なら大丈夫だとどうしていえるだろうか。むしろそういうしょうもない善意が、システム化を阻害しているともいえる。困っている人死にそうな奴を助けるのって善意ですることなのか?何たら地震の募金だかも、すでに日本政府が莫大な金を提供しているはずなのに、いちいちコンビニとかでちまちま小銭を入れて何になるのだろうか。そんなにいい人になりたいのかよ。善意ってうさんくさいという話を妻にしたら、私がドナーいなきゃ死ぬという状況になってもそう言えるのかと反論されたが、それは当事者の理論だと返した。当事者は問題ではなく、圧倒的多数の他人をいかに巻き込めるかがポイントだろう。そこを善意に頼っていても何も解決しない。当該記事のブクマコメントにもあるように、ドナーには相応の金でもって答えるのが筋だ。500万もらえるなら俺もドナー登録してやる。それどころか、提供者には患者側が臓器売ってでも500万円謝礼を払うっていうなら、ドナー不足の問題なんてまたたくまに解決するだろう。どうしてそんな単純なからくりが採用されていないのかしら。そこを怪しむべきだ。被災だってそうだ。募金したら倍以上の金が返ってくるなら喜んで募金してやる。どうしてそういう仕組みになっていないのか。全部善意のせいだ。ボランティアとかほざいてる奴らは恥を知れ。