自律は凄まじき

紀伊国屋で本を買って帰る途中のエスカレータで、若い女が電話に向かってこう言っていた。「4cm切ったらヒザ裏が見えなかったの。だからもう5cm切ったの。」女はスタスタと先に行ってしまったがずいぶんと不思議な感じがした。ああそういう世界もあるのか、と。たまの外出も悪いものではない。こんな素敵な片辺に出会える。人一人の人生などたかがしれている。どんなに精一杯生きたって大したものになりはしない。だからなるべく多くの人と交わらなければならない。今は別に街に繰り出さなくてもネットで庶民どもの生の声はいくらでも拾える。歴史上これほどまでに素材へのアクセス性が高い時代があったろうか。その気になればなんでも追体験できる。だからこそ作家は大変だろう。多少のトリックではたちまちありふれた話になってしまう。情報収集に甚大なコストをかけなければ太刀打ち出来ない。駅のエスカレータで若い茶髪の女がこう言っていた。「なにげに、筋肉痛なんだよね。」「なにげに」と「筋肉痛」を文として接続するなんて可能だったのかと驚かされる。時代は動こうとしている。今ネットにたったひとつだけないものがある。それは匿
名で金を簡単に払う仕組みである。このピースが埋まるときが楽しみでならない。ウェブカメラに個人で動画を流す仕組み、金子氏の無罪と仕掛けは揃っているのである。美しい女性はいくらでもいる。彼女らのヒザ裏を見る度思うのである。彼女らは対価を得ているのだろうかと。せいぜいそこそこのサラリーマンの家政婦止まりではないかと。理不尽だと思わないのだろうか。彼女らは毎日の化粧やメンテナンスに一体どれだけのコストを払っていると思っているのか。金に換えてしまえばいい。その美しさは金にすることでのみ報われる。もはやAV女優や風俗嬢なんてカテゴライズは不要になる。全ての女性が自らを金に換える権利と力を得るのだ。死亡債とかよりよほど健全な仕組みだと思うのだが。