道路に傘を何度も叩きつけた。骨組みがむき出しになり、金属の部分が折れてちぎれた。我慢が出来なかった。怒りと、無力さとむなしさのはけ口が必要だった。その日の夜、バグ改修をしていると妻からメールが来た。ずいぶん疲れた感じで、ハーゲンダッツのスイートポテトかスーパーカップのクッキーバニラが食べたいから買って来て欲しい旨が書いてあった。私はもう財布に金がない旨を返信した。30円くらいしか残っていなかった。11時少し前に、新たなバグを見つけてしまったことで集中力が切れたので帰ることにした。帰路の途中、財布の中にクオカードが二枚残っていることを思い出した。両方すでに一度使っているがアイスを買うくらいは残っているはずだ。ハーゲンダッツは無理だが、クッキーバニラと自分の分のアイスくらい買えるだろうと思いサンクスに入った。クッキーバニラと普通のバニラを持ってレジに行った。「これ使えますか?」とクオカードを提示すると使えないと言われた。仕方なくアイスを戻して店を出た。しばらくするとファミリーマートがあったので入った。クッキーバニラと普通のバニラを持ってレジに行った。ファミリーマートでは使えることをすでに確認していたので無言でクオカードを一枚レジの若い従業員に提示する。従業員は不慣れな様子でクオカードを処理した。少しすると「117円です」と言われた。金額がおかしい気がしたがどうでもよかったのでさっさと会計すませろカスがと思っていると、しばらくしても従業員から反応がない。なんとなくカードの残高が足りず残り117円必要と理解し、もう一枚のクオカードを提示した。するとまた「〜円です」と言われた。まだ足りないかのかと逡巡したあと、自分の分のバニラをあきらめることにした。その旨伝えると、キャンセルの操作方法がわからないのかえらい人を呼びにいった。少ししてえらい人と一緒に帰ってきてえらい人がレジを操作していた。うまくいかないらしく、カードは一度通して穴をあけてしまうとキャンセルということが出来ないと言われた。私はわけがわからなくなり、その2枚のクオカードで合計いくら残っていたんだ?と聞いた。120円とちょいだった。だったらクッキーバニラは買えるでしょ?と言うとまたレジをいじりはじめた。うまくいかないようで困った様子だった。私はもうどうでもよくなり、全部キャンセルするというと、一度穴のあいたクオカードはもう元に戻すことができないとかごちゃごちゃ言い出したので、カードももういらないから捨てて下さいと言ってアイスもレジに放置して店を出た。しばらく歩いていると、急に怒りがこみ上げてきた。よくない傾向だと抑えていたが、ついに抑え切れなくなり手に持っていた傘を道路に叩きつけた。お気に入りのピンクの傘はあっさりとぐちゃぐちゃになった。大して力を込めていないのに拍子抜けだった。もうゴミになった傘をどう処分するか困った。そこらへんにポイ捨てするわけにもいかず仕方なく手に持ったまま帰宅した。ずいぶん前に吉野家で金を最初に払ったのに最後にもとられて二重に取られたとぶちきれていた酔っ払いおやじがいた。従業員に怒声でわめきちらし、延々とねちねちと従業員のミスを責め立てていた。従業員も延々と謝罪するが一向に怒りが収まらない。今思うに、そのおやじが切れていたのは、従業員がミスをしたからでなく、おやじ自身が自分が二度もお金を払ったことに気付かなかったせいだったのだろう。自分に対する怒りを従業員いぶつけていたのだ。人とは弱いものである。自分に怒りを向けることが出来ないのだ。傘を叩き壊したときの私もそうだった。「セブンイレブンで店員にレシートを渡され激怒した客、「謝罪文張れ!」と要求し、写真&実名入りの謝罪文を店内に掲示させる」http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1316894.htmlという記事はクレーマーの話だが、今の世の中、怒りを溜め込んでいる人間はずいぶん多いことだろう。そういう人間は、コンビニのレジでのささいなミスさえも引火してしまうのだ。いつも怒りの矛先を探しているのである。コンビニや牛丼屋の店員なんてカッコウの餌食なのだ。それは彼らが一般に見下されているからでもある。人からの尊敬を得られる仕事ではない。以前妻に、俺がもし吉野家の従業員だったら君も肩身が狭いだろうねというと、もし俺がその仕事に誇りをもってやっているならまったく関係ないと言っていた。俺は吉野家の店員をやっていて誇りなどもてないと思った。誰でも出来るし、何の蓄積もないし、将来もない。本当の意味での労働である。そういった業界に東南アジアや中国人の従業員が多いのも誇りに影響しているだろう。「好きなことではなく、求められていることをやれ!」http://d.hatena.ne.jp/bysuu/20090927/1254076443という記事は、仕事にはいきがいが大事だと書いてある。つまり誇りである。そのブクマコメントの中に、「エンジニアだとやりたい事は沢山あるだろうね。 フツーの文系だと、そもそもやりたい仕事自体が見つからなかったり。」と書いてあった。コンビニや牛丼屋はまさにそういう文系の行き先なのだろう。誰もがルフィのように夢を持っているわけではない。夢を語るだけの力も持たない。RPGの街中の一定範囲をうろうろするだけのCPUキャラが大半だ。上記記事にもあるように誰もが私のように修行マニアではない。自己研鑽以外にもいろいろな生きがいがあるようだ。しかしその全ては自分以外を生きがいにするというものだ。誰かとの幸せや何気ない日常や楽しみにしているアニメや。あほらしくないのだろうか。酔客にののしられ、マニュアルに従うだけで全てが完了し、客の食べ残した皿を洗う毎日。くそくらえである。そんなことをしていたら死ぬぞ?これから情報社会はもっともっと複雑になっていく。あらゆる知識が技術が能力がごちゃまぜになっていく。他人の幸せを自らのものと混同するしかなくなる。あらゆる嫉妬が沈殿していく。携帯からだろうと何だろうとネットに接続する以上ハイスコアランキング表からは逃れられない。力を持たない奴は死ぬ世界がすぐそこまで来ているのである。