「ゴミ分別の異常な世界」という本を読んだ。かねてよりゴミを分別して捨てることに強い嫌悪を感じていたが一層その思いが強まった。この連休、妻が寝たきりになったこともあって食事が出前とスーパーの惣菜ばかり並んだ。いきおい私の部屋には食べ終わったプラスチック容器が山積することとなった。なぜ山積させてしまうのか。洗うのが面倒くさいからである。後片付けとか調理が面倒だから出前や惣菜で済ましているのに、何が悲しくて再利用の予定もないベタベタのプラスチック容器を洗わなければならないのか。しかし洗わずにゴミに出すと回収してくれない。なんとあいつらはゴミ袋を開けて中をチェックしているのだ。恐ろしい監視社会である。横浜市というのはひどい所である。世の中にはガスを使ってなんでもかんでも燃やしてしまえるゴミ処理施設を備えた優秀な市もある。そういう市ではゴミを分別する必要などない。プラスチックだろうとなんだろうと一つの袋に詰め込んでポイで終わりである。ナノに横浜市はただ分別させるだけでなくいちいち洗わなければならない。汚れのついたプラスチック容器包装は再利用できないからだそうだ。知るかぼけ。世の中には30いくつもの種類に分別をする馬鹿と呼ぶのもかわいそうなくらいの悲惨な地域もあるようだ。そんなに分別していたら、分別で一日が終わってしまうわぼけ。そのくせゴミ総量は減らなかったらしい。当たり前じゃ。分別したからって捨てるものの量が変わるわけないじゃん。頭おかしいんじゃないのかしら。この本によると、やっぱりリサイクルなんて頭のおかしい人たちが必死になってるだけだよねとしか思えなかった。例えば家庭の生ゴミを家庭で処理機にかけて肥料にするやつ。なんと家庭の生ゴミから作られた肥料は農家もいやがる駄目品質らしい。結局捨ててゴミになることも多いそうだ。家庭で作った堆肥でベランダとかで家庭菜園とかやってる人たちはご愁傷様でした。リサイクルじゃなくて生ゴミリユースしているだけというなんとも笑えない話である。京都できちがいたちが主催している「3R検定」なるものがあるらしい。受験とテキスト代で7000円かかるらしいが、これを取得しても就職には一切役に立ちません。天下った役人どもの収益になるだけである。環境先進国と思われているドイツでは、日本よりも分別が出来ていなくて、みんな有料の燃えるゴミや燃えないゴミは出さず、金のかからない資源ゴミに混ぜて捨てちゃうらしいです。すげー超先進国。俺と同じ考えだから俺も進んでるというわけだ。デポジット制度とかいってドリンクのビンを使いまわして、飲み終わったビンを店に持ち込んだら消費者にペイされてみたいな仕組みも、結局現在は使い捨てのものの方が主流らしい。意味ねぇ。あんまり意味ないから廃止にしろと裁判まであったけど住民反対になって白紙らしい。お前ら何がしたいんだよ。レジ袋の有料化も、レジ袋ってみんなゴミ出す袋とかにすでにいくらでも再利用してて、それをもらえなくなったらゴミ袋をいちいち買わなくちゃならないから、袋の消費量はかわんねぇじゃんという話もあった。レジ袋有料化は、誰のためかというと、スーパーのためらしい。あいつらの利益になるだけで、リサイクル的効果ははなはだ疑問らしい。エコバッグとかしょっていい気になってる奥さん連中はもっと笑われていい。さて、結論は出ているのである。人類に分別は不可能。リデュースは不可能。リサイクルも不可能。リユースも不可能。無理なんです。出来ないことをやろうとするからあちこちで混乱が起きるし無駄な税金が投入されるし、天下りとかゴミ業者が潤うだけです。もういいじゃないの環境なんて。パレートの法則というのがあります。全体のうち重要なのは2割の部分であって、残りの8割に何かしたって無駄です。借金が3億あるのに1円返済したって無意味です。ゴミ問題なんて、そのうち技術革新が起こって今になんでもない話になるに違いないのです。それなのにリサイクルに血眼になってるやつがいるとしたら、目的は他にあるに違いないのです。