そろそろ子供の名前を決めねばならないが、しかし、女の子の名前となると難しいもので、これというものが思い浮かばない。いつかは私とは苗字が違ってしまう子の名前を考えるというのも複雑な面持ちである。妻は自分の書いた小説の主人公の名前をつけるなどと微妙なことを言っていたが、まあそれもありかなとも思う。夕方、歌うたいのバラッドを鼻歌していたら、ちゃんと歌ってくれればいいのにと言われた。おなかの中の子供にも音は伝わるようで、いろいろな音を聞かせることは有意であるらしい。いつか路上で弾き語りをしてやろうと思って買ったギターは押入れの中で深く眠っている。仕事が忙しすぎてギターの練習なんて出来ないのである。少し前に、40過ぎのベテランさんと終電までの道のりで話した際、この仕事ほどきついものはないということを言っていた。私が、産婦人科医なんか大変じゃないですかねというと、納期がないからまだ楽だろうと言ったので、彼らには命の納期があるからある意味大変ですねとうまいことを返した。プログラマは、給料は底辺だが、仕事のきつさだけは産婦人科医にも劣らないのだ。今日も休日出勤せねばならず、疲れを意識せずにおれない。チームメンバーが二人、今月で首切りらしい。使えないやつらだったが、いなくなるのはさびしいものである。そのうちの一人がこんなことを言っていた。「このチームは俺でもっているので、自分らはある意味不要だから仕方ないです」的な。だから俺はこう返した。「己の能力を磨き続けるのも楽しいものですよ。職場は変わっても能力はついてきますし。」的な。彼がどう受け取ったかは知らないが、この仕事は、能力のないものに椅子なんて用意されていないのである。無能なプロパーには多くの椅子があるが。彼は30を過ぎているが、30代は技術者の華であるのだから、まだまだこれからがんばればよいのだ。今日は友人の舞台を見に行く約束をしていた日だった。お盆も仕事で帰省できずじまい。仕事のせいでいろいろと大切なものがなくなっている。友人の所属する劇団の舞台は以前一度見に行ったことがあるが、なかなか面白かった。舞台の上でフェラチオの演出があるなんて世の中広いものである。今回も期待していただけに非常に残念である。