パソコンのファンの音と部屋の隅のクーラーの音と外のせみの音が織り成す重層的な環境音楽が心を安らがせる。どれか一つが欠けても環境音楽とは成り得ない。完璧なバランスにめまいを覚えそうである。唯一神又吉イエスのことを知ったのはずいぶん前である。おもしろいきちがいがいるというのが率直な印象だった。一見人の良いじいさんであるがその華奢な体のどこにあれだけのエネルギーを秘めているのかと感心したものである。唯一神についてあえて基礎知識を披露するような失礼な真似はしない。関東にあって唯一神のことを知らないなどもぐりではすまされない。もし知らないならあまりにも恥ずかしいことなのでただちにwikipediaと公式・非公式ページを一字一句もらさず熟読すべし。ただ一つ述べることがあるとすれば、唯一神は一度も勝ったことがないということだ。地元沖縄で選挙に出た頃から、負け戦を重ね、負けるたびに、そのフィールドをより広い舞台へと遷移させて来た。今の軟弱な若者には、唯一神のような着想や精神は備わっていない。テストで落第したらあきらめてしまうのである。亜細亜大学に落ちたら来年は東大を受験するということが出来ないのである。負けるたびにより強い敵に挑み続けるその姿勢は彼がにせものではないことの証明である。なぜならそれは絶対勝利の法則だからである。ギャンブルの定石として倍々の法則がある。1万かけて負けたら次は2万円かければよい。それで勝てればはるかにプラスになるし、負ければさらに倍の4万円かければよい。そうやって倍々にしていけばいつかは巨万の富を得られるというあれである。この法則の欠点は倍々にしていく最初のうちに勝ってはいけないということである。最初に勝ってしまうと得られる額が少なすぎて、しかも勝ちは勝ちなので当人は満足してしまう。ギャンブルの罠はここにある。最初のうちは負けることがどれほど重要か。一般には、勝ち続けることが重要だと考えられている。負けたらそこまでという人間も多い。だがそれは違う。負け続けることの方がよっぽど重要である。だが同じ負けはよくない。一度負けたら次はその相手に勝つことなど捨て置いて、もっと強大な敵に挑むべきだ。そうしなければいつまでも平凡としてあり続けるしかない。彼は人生の全てと財産の全てを賭して闘っているのだ。それはいずれ聖書よりも重要なテキストとなるだろう。又吉イエス。俺が世界で一番大好きな政治家である。