昼間寝たので寝られず夜中にカラマーゾフの兄弟を読んでいたらとても素晴らしい文章があったので引用する。

民衆には無言の、忍耐づよい悲しみがある。その悲しみは、心の中に入り込んだままひっそりと口をつぐんでしまう。しかし他方に、外に破れでてくる悲しみもある。その悲しみは、ひとたび涙となってほとばしりでると、その時から「泣きくどき」に変わるのだ。これは、ことに女性に多く見られる。だがその悲しみは、無言の悲しみより楽なわけではない。「泣きくどき」で癒されるには、まさに、さらなる苦しみを受け、胸が張り裂けることによるほかない。このような悲しみは、もはや慰めを望まず、癒されないという思いを糧にしている。「泣きくどき」はひとえにおのれの傷をたえず刺激していたいという欲求なのである。

昨日妻にこんな話をした。ナニワ金融道を著した今は亡き青木雄二が著作で、経済のことは全てマルクス資本論に書いてあるし小説のことは全てドストエフスキーカラマーゾフの兄弟に書いてあるといっていたよと。カラマーゾフの兄弟をずっと読もうと思っていたが、こんなに疲れているときだからこそと昨日第1巻を買ってきた。読みながら退屈な話だと思っていたが、いたるところにhacksが載っているようだ。世の中には、生きるために物語を必要とする人がいる。ページを繰って一行一単語をかきむしることによって明日を得られる人がある。物語を紡ぐなら、そういう人たちのためにこそ書かなければならない。物語を書く人は、そういう人たちでなければならない。誰であっても何であっても埋めることの出来ない紡ぐことのなかった明日を紡がせる力が物語にはある。それは力である。プログラミングと同種の世界を変えることの出来る力である。力を持つなら、それは磨き続けなければならない。それこそが人生の目的である。いつか僕のことを生かしてくれる物語を期待している。