オフィスの近くの島のある人を、最近見かけないと思って、どうしたんですか?とその人のことを知っていそうな人に尋ねると、しぶったので、しつこく聞いてみると、噂では自宅待機になっているらしいとのことだった。政府は景気は上向いていると嘘八百を並べているようだが、実感としては、IT絶望工場はITの冠さえ外さなければならないような絶望ぶりである。これはいよいよ、私も今のプロジェクトが終わると身の危険を意識せねばならぬのかと、うつむき加減な気持ちぶりである。自社にも待機になっている人がいるようなので、他人事ではないのである。大きくなった息子に、「パパは僕が生まれたときなにしてたの?」と聞かれたら答えに窮するようなことにはなりたくはないのである。そう思うと私は生来的なビビりなので、遅刻が首切りの理由になるなどと脅迫されれば、うやむやには出来ず、そそくさとビビリながら目を覚ますようになってしまう次第である。生きている人たちに共通していることといえば、常に何かを人質にとられていることが挙げられる。人間おかしなもので、何かを得たその瞬間からそれを失うことを恐れ始めるのである。この世に生を受けた瞬間から死を恐れるようなものである。私がこの世で最も忌み嫌うことの一つに、何者かに屈するということがある。私というかけがえのない存在が、何者かに脅かされるなぞ、あってはならないのである。もちろん私は、充分に強靭な精神の持ち主なので、クビを切られることなど恐れてはいないし、私の実力を持ってすれば、なんとでもなるということはわかりきっているが、しかし、私には妻と子がある。もはや私は、自分の身を守るだけでは至らないのである。妻と子のためなればこそ、私は自らのプライドを一時的に伏せる決心をしたのである。今の私には、事業を起こす気概もなければ、飛ぶ鳥と共に落ちるほどの勢いしかなく、このみじめさったらない。哲学にしばらく傾倒していたが、やはり結論からいってこの手の学問は絵空事なので、実際の役には一切立たないので、ふにゃちんほどの価値しかないと悟った。フーコーニーチェショーペンハウアーに出会えたのは収穫だったが、それ以外のウィトゲンシュタインとかハイデガーとかカントとかサルトルとかポンティとかプラトンとかは、実に無駄であった。何を言っているのかさっぱり理解出来なかった。さて、べにじょという女性プログラマの人が数ヶ月前に首切りにあったようで、最近ようやく再就職が叶ったようであるが、ネットではあれだけ有名であったに関わらず、誰も拾ってはくれなかったようで、結局リクナビ経由でIT系出版社の編集者の仕事となったようである。さて彼女であるが、「10日でできるXXXプログラミング」みたいな本は現実問題そんなにやさしいわけではなく、もっと多くの素人を、ネットやプログラミングの世界へ引き込みたいからそれが出来るような本を作りたい、とのことであった。この着眼点は実に良い。悪い意味で。私が初めて読んだプログラミング本は「10日でできるVisualBasic教室」であった。中学2年の頃である。その本の最初の課題に従って一番最初に作ったプログラムは、ウィンドウにコマンドボタンを一つ配置してラベルに「終わり」とかき、プロシージャには「End」とだけ書いた簡素なものだった。実行するとウィンドウが表示され、終わりと書かれたボタンを押すとプログラムが終了する。大いに感動したものだ。しかし哲学的なプログラミング本である。一番最初に習うのがhello worldでなくend worldというのも珍妙だ。人間にしても、最初に習得するのはあいさつではなく自らの処分のやり方なのかもしれない。で、当時の「10日でできる」と比べて、昨今のプログラミング本事情は、複雑になったのだろうか。逆である。コンパイラを作ろうと思ったら、ドラゴンブックを読まなくてもよい時代になってしまったのである。昨日も「ふつうのコンパイラをつくろう」が発売されたばかりだ。今ではLinuxカーネルの本でさえありふれている。中学のときに初めてLinuxをインストールしたとき、ユーザ名を聞かれてなんと入力すればよいのかわからず途方に暮れた頃がなつかしいものである(rootなんて知らなかった)。時代は変わった。今必要なのは初心者を引き寄せる本ではなく初心者を突き放す本である。「ビートマニア」現象というのがある。音ゲービートマニアは、シリーズを重ねるごとに、難易度が指数関数的に上がっていった。それはユーザの希望であった。しかし、途中からあまりにも難易度が上がりすぎ、ヘビーユーザであった私もついてゆけなくなってしまった。しかし、難易度を上げなければ、もっとはやく多くのユーザを失望させたはずである。素人を初心者にする本など必要ではなく、初心者を導くものでもなく、中級者をギークへ導く本が求められるのである。昨今の技術書は初心者を甘やかしているものばかりであきれ果てる。ニーチェも言っているが、魚のいないところで釣りをしても仕方がないのだ。日経ソフトウェアなんてサルでも読まないのだ。技術書マニアである私からアドバイスするなら、今求められている本は、「プログラミングテクニック」や「プログラミングテクニックアドバンス」や「デーモン君のソース探検」のような、コードリーディングに徹した本である。理論とか心構えなんてどうでもよくて、ただひたすらにコードを追っていく本が価値なのだ。