時には昔の話を」という曲がある。この曲を聞くと、紅の豚よりも、まだマルクスが亡霊としてあった学生運動の時代を思い起こす人も多いようだ。「貧しさが明日を運んだ」とか「コーヒーを一杯で一日」とか、まだ人と人とが互いに吐息をかけあった時代の残滓に私でも浸ることが出来る良い曲である。auショップの前で女性労働者が商品の紹介や客寄せをマイクを用いて行っていた。しかし人通りは少なく、女性労働者はかすかにためらいを滲ませつつ労働を行っていた。ここが新宿の家電量販店の前ならば、店の前を行き過ぎる人の数に事欠くことはなく、女性労働者は労働をやりがいを持ってなせたことだろう。無視してくれる人がいないというのは辛いことである。たとえ誰一人足を止めなくても、うっとおしげな表情をされようとも、その無視のいたわりは計り知れない。我々は数え切れない他人に囲まれている。その他人の価値に思いを馳せなくてはならない。満員電車で汗を滲ませている邪魔でしかない他人が、私たちを主役にしてくれているのだ。時代は変われど変わらないこともある。貧しさが明日を運んでいるのだ。