世の中には、もうこれ以上前へ進めないということがある。コンビニで毎回、「ポイントカードお持ちですか?」と聞かれる。この店員は、業務用の会話しかしたことはないにせよ、もう顔馴染みなはずである。しかし、私がポイントカードを持っていないと確定しているにも関わらず、毎回、「ポイントカードお持ちですか?」と聞いてくる。どれだけ昼時で客の列が混んでいようとおかまいなしだ。しかも、私が不機嫌に答えないでいると、再度、「ポイントカードお持ちですか?」と聞いて来る。私は「いや、ないです。」と答える。お前は空気が読めないのか?では、私がポイントカードを所有し、出せば、「ポイントカードお持ちですか?」と聞かれることは無くなるが、しかし、今度は、出したポイントカードを処理するために、やはり、「ポイントカードお持ちですか?」と聞かれて、「いや、ないです。」と答えたときと同様に時間が消費される。もうどうしようもないのだ。誰が悪いわけでもない。これが社会なのだ。どれだけ多くの人が望んでいようと、それがどんなに人類に益することであろうと、もう良くなることはないのだ。凌辱エロゲームが規制されるそうだ。
なんと愚かなのか。人は何度過ちを繰り返せば気がすむのか。凌辱エロゲームを規制せよなどという考えを持つような人間は本来病院に入っていなければならない連中である。病名は「きちがい」である。ロリも規制され、凌辱エロゲームも規制され、世の中はどんどん生き辛くなっている。そもそも、我が国は未だにAVにモザイクをかけている馬鹿者である。インターネットで無修正でいくらでも獣姦だろうと妊婦ものだろうと視聴し放題だというのに。未だ、下らないたてまえは消えることはない。貧困で少女を売る親がいる増えているそうだ。それは何ら批判されることではない。おおいに売ればよい。金がないのだから仕方がない。売られることで少女の人生がいかほどに毀損されるのだろうか。「きちがい」たちは、一体何を守っているのか?それは少女か?女性か?違うだろう。「きちがい」が守っているのは彼ら自身なのだ。真なる犠牲者は我ら善良なる市民である。普通に生き、普通に性欲を持つ我ら善良なる市民である。私はかなしい。どうすれば良くなるのか。私に何が出来るのだろうか。そればかり考えている。