近況、そしてこれから

本来ならとっくに長年癒着していた地元からこの身を引っぺがして颯爽と飛脚のごとく明けの明星目指して自らが二足歩行生命体ネオテニーであることを確認して悦に入っているところだったはずが、今もこうして慣れ親しんだキーボードでタイピングオブザデッドでそこらへんの主婦に負けない好成績を叩き出す自慢の五指たちと共に駄文を書き散らしている己の浅はかさと醜さと尊さにめまいを覚えずにいられないけれどさっきオナニーしそこなった僕ですが、いま一度ふんどしを締めなおして今後の抱負を述べてみたいと思います。


まず、8/31に高知県の片隅をひっそりと出発して東京までひたすら歩いていくというくだらない計画を打ち立てた僕でしたが、いざ出発の日が近づくにつれ、そのあまりのあほらしさにいやけが射し、逃亡を企てました。もともと知性だとか知識の層の厚みなんて持ち合わせていない僕でしたので、エントリの質も日に日にやせ細り、ネタの残弾数が一桁になった辺りから、うっすらと夜逃げのことが頭をちらつくようになりました。そうこうしているうちに、はてな界隈でなんだかキャラもネタも僕とかぶってしまっているようなチンケなお笑い芸人のブログを読んでしまい、「馬鹿な、俺の存在意義がないではないかこれでは」と頭を抱えました。よもや、顔写真まで公開して公の場で女に向かって、股を開け、もしいやなら股を開けと口角泡を飛ばしまくる人間が僕以外に存在しようとは思いもよりませんでした。しかもそいつは自らの低身長は何にもましてアトピーにもまして不幸であると宣言しておきながら、プロフィールを見てみると身長が169cmなどと書かれており、160cmしかないうえにアトピーな僕は脳天に沸騰した血液が集約しだしたところに、どうやらこやつ普通に合コンしたり彼女いたりしている様子で、おまけに顔も普通だし、こういった何ら不幸ではないパラメータを備えながら非モテをネタにお笑いをやろうなどというその姿勢に、とうとうプッツンしてしまいました。よく考えたら特定の彼女がいるからここまで強い態度に出られるんだなと悟った。許せなかった…。だったら反論TBでも送って毅然と立ち向かえばよいのですが、反論しようにも彼と僕の主張は真っ向から手を結んでしまうような関係なので、そういったことも出来なかった。かといって人格攻撃は僕のポリシーに反するし、彼女を持つ人間に対して持たざる人間が何を言っても、それは虚しさを募らせるだけです。僕はみんなにわかってほしかった。顔だとか外見だとかお金だとか能力だとか、そんなもん全部とっぱらってみんなで自由にセックスが出来るようになれば、みんな絶対に幸せになれるって。定時が過ぎれば課長がホテルのパーティールームを予約して、男性社員は我先にとシャワーを浴びに行き、今年新卒で採用されたぴちぴちな新人女性を引き連れ、部内全体で代わる代わる乱交パーティーを始めるような世界になってほしかった。僕の役目は終わったと思った。僕よりもはるかに可能性に満ちた有能な人材が、プロとして、メディアとして、社会全体に対して股を開けと訴えてゆくとおっしゃっているのだ。2015年には生涯特殊挿入率を全達成すると明言しておられるのだ。僕ははてなを去ることを決意した。僕のページなんかをあえてアンテナに追加してくれている本当にありがたい人たちもいたのに、ごめんなさい。僕はもうあなたたちを楽しませる記事を書くことはできないのです。僕のことを天才やだとかすごいだとかいってくれた人たちもいたのに、ごめんなさい。僕は所詮張りぼてです。高卒の出来そこないスクリプトキディです。もう自分が憐れでならなかったのです。えらそうにアルファブロガーに敵意を向け、自らの丈を無視した妄想を垂れ流す己が許せなかったのです。あ、そういえば本田由紀先生の「もじれの日々」が消えちゃったけど、あれはネタ切れが理由だと思います。最近勢いなかったし、稲葉先生の誹謗中傷活動とかなんて関係ないと思います。ページが消える理由なんて、ネタ切れ以外にはないと思います。本田先生がおっしゃるように、義務教育・高等教育段階での職業的意義をもった実践的教育はこれからの教育に必須だと思います。若い頃ってのは、脳が股を開いていくらでもがばがば出来る状態なのに、それをわけのわからん貞操具付けて意味もないくだらない勉強をさせるのは、国家の損失です。小学生のうちから教師や親が生徒の適性を適切に見極め、本人の意思を尊重し、例えばコンピュータに興味を持つ小学生には、5年生くらいから積極的にバイナリエディタをいじらせて、エロゲのCG開封率100%達成改造だとか画像のマスク外しとかがんがんやらせて、たくさん抜かせて、抜いた分以上の成長が望めると思います。古文だとかいらんもんは徹底的に排除し、3Dモデルの乳揺れを再現させるにはこういう計算が必要だとか、海外のアダルトページからエロムービーや画像を自動収集するためのクローラーを開発させるとかやった方が絶対よい。googleの新入社員が挨拶で「私は小学生時分からボットの研究に打ち込んでまいりました。エロ画像の収集なら任せてくださいページ様」とか「私の専門は日本語の形態素解析です。中学の頃から古書市場を巡り、我が国のエロ文章の髄を極めて参りました。現在のgoogleアルゴリズムでは、ま○こはマッチできても、○んこやまん○まではマッチできません。淫語というものには単語や文脈の一部を秘匿または変形するという文化があり、こういった分野には通り一遍の数学的アプローチでは対処できないのです。しかし大丈夫です。私が開発したこの…」なんてことがいわれるような時代もそう遠くはないんじゃないだろうか。


や、とにかく私は一度はてなから逃げ出してしまった。東京まで1000km以上徒歩で行くなんていう無茶な真似をしたくなかったからだ。しかし、私も一応男である。男に二言などあった日には、非モテとしての存在自体揺らいでしまう。私はアトピーだし背は低いし太っているしブサイクだし頭も悪いし経済状況めちゃくちゃだし童貞だし非モテだ。これだけ自殺因子を抱えた人間であっても、それなりにやってゆけるんだよってことを示すことには、一定の意味もあろうかと思った。私は僭越ながら、私自信をモルモットとしようと決意した。ワーキングプアの問題にせよ、格差社会にせよ、若年労働市場の問題にせよ、恋愛至上主義社会の抑圧にせよ、私をサンプルとして種種の問題に挑むことは、意義があることだと考えるようになった。ここから先はネタではない。一人の非モテの生涯を賭けたノンフィクションドキュメンタリーである。「若者は仕事がないなんてぶつぶついっているが、それって仕事を自分で勝手に選んでるから悪いんでしょ?本当にやってやろうと思ったら、仕事なんていくらでもあるさ」。本当か?試してやる。お前らの欺瞞を俺が暴いてやる。「非モテ非モテキモメンキモメンはいはい。わかったわかった。でもね。女がみんながみんなイケメンと腰振りたいと思ってるわけじゃないんだよねぇ。ちゃんと中身磨けばさ、いくらでもやりようがあるんだよねぇ。変な雑誌とかテレビの煽りばっか真に受けてないでさ、ちょっとは自分から好きなあの子にアタックかけてみなよ?うまくいっちゃうもんだよ。」本当ですか?試してやる。だめだったら血のついたカッターの刃を郵送してやる。以前ブログなんてネタばっかで有意義なことは何一つないといってしまったが訂正する。ブログが有効に機能する道が一つあった。実証データである。一人一人が自らの不幸や貧しさや社会からの排除をとつとつと語り継ぐことで開ける道もあると信じる。日本社会よ、イケメンどもよ、ヤリマンどもよ、私は貴殿らに挑戦状を叩きつける!勝負の終わりは俺が死に絶えるまでだ。俺が一人で秋の木枯らしと共に空っぽの酒ビン抱いてダンボールと一緒に凍死しているか、女の上で腹上死しているか、勝負だ。俺にはプログラミングしかない。しかし知力が圧倒的に足りない。だがそもそも精神力が足りない。ちょっとでも理解できないとすぐに別の書へ逃げてしまう。俺は歩く。歩いてこの腐りきった精神を叩きなおす。まずはそこがスタートラインだ。いっておくが俺はこれまで一度も負けたことが無い。なぜなら一度も闘ったことがないからだ。傷の深さに気付かない男の強さを貴様らに見せ付けてくれる!


本当は自転車で行こうと思っていた。しかし注文して待たされた挙句、10月に一斉モデルチェンジで在庫一掃で入荷できませんでしたなんていわれてしまった。くそが!待てるかそんなに!俺の買った1000円の寝袋は完全にうすっぺらぺらなんだよ!秋になったらやばい。冬には耐えられない。なんとかそれまでに第一チェックポイントである神戸まで行かねばならない。ちなみに8.5kgの糞テントはごり押しで返品した。代わりに7000円のしょぼい一人用テントを買った。重さは3.5kgだ。これなら行ける。今俺の部屋には旅に必要な備品が全て結集している。日が経ったおかげでキャッシュカードも手に入った。郵貯のカードだから全国どこでも手数料無料だ。しかし、だ。天気予報は月末までひどいありさまだ。雨雨雨。そう、秋雨前線てやつだ。台風もばんばんやってくるらしい。とにかく今は台風がないので、台風がくるまでに太平洋側から逃げたい。まぁいい。いろんな問題が山積しているが所詮は山でしかない。ガキの頃必死になって作った砂場のお山トンネル。うれしかった。トンネルがやっと開通した瞬間はうれしかった。しかしいじめっこにぶち壊しにされてしまった。もう次はない。もうこれ以上壊させやしない。


さっきから部屋の隅にゴキブリを発見している。俺はゴキブリが大嫌いだ。いつもなら悲鳴をあげて布団にもぐりこんでぶるぶるしている。でもいい。今はお前でいい。俺に力をくれ。俺の心が折れても折れてもひん曲がっても立っていられるように、祈っていてくれ。