夜はピクニックへ

真っ暗な部屋の中でディスプレイの光に恍惚としてばかりもいられないので、毎夜のようにランニングをしている。ipodを充電器から抜き取り、お気に入りのプレイリストをループ設定して、首に長いタオルを巻きつけて、かかとが履き潰された運動靴をひっかけ、夜の海へと漕ぎ出していく。最近知ったが、僕は近所でも有名な不審者らしい。前の家の奥さんが夜中に走る僕をたまたま目撃したようだ。イヤホンからかすかな爆音をもらしながらスッスハッハと足を引きずるように走る姿はさぞ珍妙だったことと思う。こんな習慣を続けていると、目が慣れてくるのか、多少の月明かりさえあれば、街灯などなくとも地面を見失うことはなくなる。住宅街を離れて田園地帯にさしかかると、その圧倒的な光景に目を奪われる。月明かりが一面の稲穂を照らし、その稲穂たちが大きな風で一斉になびく。本当に海のようだ。まるでトトロの世界風景みたいで、なんて美しいんだろう。でも、夜の世界で一番美しいのは僕の体だ。普段は長袖やタートルネックで隠蔽している素肌を、このときばかりはおもいっきり夜風にさらけだすことができる。皮膚から重圧が飛び立っていく。誰にも見られる心配はない。僕にさえ見ることができない。たとえ満月で視界良好であっても、そのときは月を見てればいい。この一日にたった数十分許された時間だけ、僕は透明人間になることができる。生きているって思える。どうしてみんなファッションを楽しんだりするのだろう。皆同じものを着ていればいいじゃないか。みんなでごつごつの制服をぴっちり着込んでいれば、誰も幸せになれないかもしれないけど誰も不幸にならずに済むはずだ。ユニクロなんてとてもじゃないけど行けやしない。楽しそうに服を選んでいる人たちがうらやましい。普通の人たちは、自分の魅力を高めるために、どの部分を隠蔽しどの部分を露出させるかを能動的に選択できるが、僕の場合は全く逆で、いかに自分の存在を隠すかが焦点だ。できるだけ目立たない色で、なるたけ皮膚を覆え、アトピーと相性の悪い素材を避ける。そんなこんなで、僕は一度購入した装備を延々と装着し続けることになる。ショッピングセンターは幸せ発表会の舞台なんだ。手をつなぎ肩を合わせ、走ったり振り返ったり笑ったりしながら、みんなで幸せ自慢ばかりしている。肩口の開いたシャツを着た色黒の男性はたくさんの袋を抱えながらカートを押しそのうえ子供まで支えている。少し先のお肉コーナーで目の色を変えて選別している女性がいる。カートにはうどんや卵やネギが詰められている。今日はすき焼きか。僕はカートなんて押していないし、ポケットにはipodと財布が入っているだけ。そして手には半額惣菜。なんて身軽なんだろう。どこへだって行けるし、なんだってできそうだ。でも明日もここでこうやってるんだろうな。毎日、毎日、スーパーでは幸せ展覧会が催されている。入場料なんていらない。入場券も必要ない。広大な駐車場を埋め尽くす車の数だけ、幸せの数だけ、男と女の数だけ。