父さんはヒーローになるんだ

娘よお前が生まれてから 父さんはがんばらなきゃって思ったんだ
他のお父さんに負けないように まじめに働いて 汗を流して
かわいい服をたくさん買ってやって いろんな遊園地に連れて行ってやるんだ
授業参観で恥をかかせないように ダイエットだってもうすぐ始めるんだ
母さんとお前を悲しませないように 健康にだって気をつかうんだ
ビールだってコーラだって いつだってやめられるんだ
いつか自分で会社をつくって 重役出勤してやるんだ


でも今日のお父さんはまだ未完成なんだ
お前に話しかけるときビール臭くないか気になるんだ
お尻をぽりぽり掻いた手でお前を抱きかかえるんだ
空っぽの貯金通帳を穴があくほど眺めるんだ
電車の中で吊革につかまってるとき ワキの汗の匂いが気になるんだ
息を荒くしてハンカチで顔や首をぬぐいながら とてもかっこ悪いと思うんだ
会社で上司に怒られているとき とても情けないと思うんだ
毎日夜になると 明日こそがんばるぞって寝ちゃうんだ
休みの日だって 寝てばっかりなんだ


いつかお前が大人になって 父さんの書いた文章を見つけたら
我が家の恥だって思ってもいいから ちゃんと読んで欲しいんだ
母さんはお前が大きくなったら削除しなきゃいけないねなんていうんだ
そこにあるのは負け続けた男の記録
成功なんてこれっぽっちもつかめなかった貧民の余生
多分ビールでも飲みながら書き散らしたくしゃくしゃのノート


でも父さんは幸せなんだ
今日もお前はたくさん寝返りをした たくさん笑ってくれた
父さんが部屋からいなくなると泣いて呼んでくれた
母さんと一緒にベッドで眠るお前を見たとき むぐむぐ動く口がおかしくて


娘よお前が生きているから 父さんはがんばらなきゃって思えるんだ
今父さんはヒーローになるお勉強をしています

ゲームが必要じゃなくなったんだ

ゲームプログラマになる方法
とても考えさせられるエッセイである。
現代ゲームプログラマに3D技術は必要だろうか?そんなことよりもゲームを作ることが大事じゃん、という話。


そんなことよりも、ゲームプログラマは必要だろうか?と思う。
アメーバやらmixiやらで流行っているゲームを見ると、もう行き着くところまで来てしまっている感じがする。
ミニゲームをしてマネーを稼いでアバターやお庭を着飾って他のプレイヤーとチャットする。これはネットゲームの本質だ。結局人は人とつながることが一番の刺激という悲しいオチ。
もちろん3D技術なんて必要ない。簡単なパズルゲームとショッピングカートの仕組みさえ作れればいい。そこでは人が主役なのだ。もうゲームプログラマがデザインしてやる必要はない。むしろ支配者なんて邪魔になる。ゲームプログラマはゲームを提供するのではない。単に場所を提供するだけになる。駐車場の管理者みたいな退屈な仕事。

かつてゲームはそこでしか生きられないものたちの居場所だった。例えばサウンド。ゲームがなければあれほどの曲が日の目を浴びただろうか。BGMとして、戦闘音楽として活躍する以外に、曲単体で世に出ることは出来なかった。しかし今はニコニコ動画がある。曲単体で衝撃を持ちえるということが証明された。サウンドにとってわざわざゲームというパッケージは必要なくなった。

シナリオはどうだろうか。もうみんな世界を救う話には飽きちゃった。物語は必要とされなくなった。データベース消費(笑い)。

上記エッセイにもあるように、3D技術のメジャーな活躍舞台としてもゲームは意義があったらしい。そうだろうか。ただの当たり判定と光源をいじるだけの世界じゃないか。本当に面白いものはゲームでも生かしきれなかったはずだ。3Dデスクトップを見ればわかる。抽象表現として3Dは貧弱だ。意義があるとしたら医療技術くらいか。

そして一部の動的なアルゴリズムシステム開発では出番の少ないアルゴリズムの習得の場として意義があった。これからはそういう複雑なゲーム自体求められていないので独りよがりで終わる。

何よりも、もうユーザはゲームなんて求めていないのだ。もう囲いの中でつまらないテニスをするのにはうんざりなんだ。ゲームという究極に受動的なシステムに見切りをつけた。
今ユーザは何をしているのか。twitterでつぶやいている。ブログでテキストを打ち込んでいる。ニコニコ動画にコメントしている。rubyを使ってクイックハックしている。ボーカロイドで編曲している。フォトショップ谷亮子を加工している。世界に向かって発信しようとあがいている。

ユーザは自らの足で立ち上がり始めた。我々日本人にとってゲームが提供してくれた豊穣な足場には感謝しても足りない。だがもうそこから巣立つときだ。
ゲームなんて、まだプログラミングが何も出来なかった時代の、まだ産声を上げたばかりの若いプログラマたちの遊びに過ぎない。ちょっと遊びが過ぎただけさ。
もうプログラミングはゲームのコードを書かなくていいんだ。今はもっといろんなことが出来るのだから。

今もゲームプログラマを目指す若者が量産されている。野球と似ている。野球選手になりたいと目を輝かせていた少年たちのほとんどはどんよりとにごった目をした非生産的な大人になる。未来ある若者よ。どうか一人でも思いとどまって欲しい。その道に進んではならない。
もうゲームは死んだんだよ。