フリッチョフ・カプラ

「タオ自然学」とか「ターニングポイント」という著作がある。
原発はなぜ危険か」より引用。

カプラは中国後漢時代の諸「論衡」から、「陽が極まれば陰にその場をゆずり、陰が極まれば陽にその場をゆずる」という言葉を引いて、今日の西洋文化がすでに陽を極め、代わって、「陰的価値が重んじられる文化が台頭しはじめている」とし、そのような文化を「上昇文化」と呼んだ。

ここで陽とは「男性的、膨張的、先鋭的、積極的、競合的、合理的、科学的、分析的、直線的、断片的」で、陰とは「女性的、収縮的、保守的、受動的、協力的、直感的、神秘的、統合的、非直線的、全体的」とある。宮台氏がいう、今回のような原発事故を「可能にしてきた社会システム」とはまさに陽のことを指すだろう。この陽を捨てて陰に向かうことが出来なければ、日本は本当の意味で終わる。