2010.08.16 18:20

荒川智則は朝一から終電までの労働を何の苦にも思わなかったはずが、朝起きるのもつまらなくなり、遅刻が増え、かといって残業するような問題はどこにも転がっていないという状況だった。一日三時間労働であっても、問題のない成果を上げられる気持ちになっていった。子どもが生まれ、少し問題があって病院にたくさん通うようになり、ますます勤怠は悪化していった。そしてある日、社長に呼び出された。