久しぶりに日経新聞を買ったら

来月から価格改定で店頭販売が今の140円から160円になりますなどと一面に書いてあった。日経新聞も厳しいのでは新聞業界はどうなってしまうのか。月ぎめ購読料金は据え置きだと。新聞自体久しぶりだったが、やはり情報媒体としては悪くない。頭にスラスラ情報が入ってくる。記事の重要度が視覚的にわかるようになってる仕組みは未だにネットにはない。一部の年寄りは文字の摂取方法として、タテ読みとヨコ読みのミックスが重要だという。ネットでばかり活字を摂取しても神経細胞は増えませんよというようだ。最近トポロジーの本を読んでいるがタテもヨコも所詮二次元だ。その本では二次元人は我々三次元人よりも頭が悪いと書いてあった。脳細胞のネットワークが二次元だと線と線がぶつかったら迂回するしかないから線の総量は限定的だが三次元人なら線と線がぶつかっても互いに線を飛び越えることが出来るからいくらでも自由に線の総量が増えると。どこかで読んだが、活字の文章は所詮二次元で、人間の思考を厳密に再現出来てるわけじゃないから、そのシーケンシャル性を考慮しないと本質的な理解にはならないと。文章は書いた人の脳みそを大し
て反映していないというのは興味深い視点だ。プログラムは思った通りではなく書いた通りに動くというのとは対照的だ。そう思うと不思議な気分になる。言語化した思考が本物とは違っているなら人と人のコミュニケーションは今以上に薄っぺらいものに思えてくる。表面上は社会的に温和な態度で接しながら腹の中では悪態をついてもその悪態さえ自分の本心ではないとなるともうなにがなにやらわからなくなる。人間というものが途端にかわいそうになってくる。百万年以上の歴史がありながら未だに本心を自分で理解することさ出来ないなんて。そういう目で混み合った電車の中の乗客たちを眺めると面白い。どこにも人間なんていないと言ったのは誰だったか。人間をかろうじて明滅させているのは乗客ではなく乗っている電車の方だと思う。