光線治療というのをしたらしい

最初NICUに入ったときに隣の保育機の赤ちゃんがビニールシートみたいなので保育機を覆われて、青白い光を当てられていたのでなんか重症なのかなと思っていたがうちの子もやられたらしい。
新生児黄疸というのがあるようで、それの値が大きいときは光線治療をやられるようだ。光線を当てている間赤ちゃんは目をアイマスクでガードするが、うちの子はアイマスクを外すくらいの勢いで元気だったと聞かされた。重症というわけではなくて結構あることのようだ。
うちの子はエコーに映るときも常に顔を手で隠していて、一度もエコーにちゃんと顔が映ったことはなかったようだ。そのときのなごりで手を顔に持っていく癖みたいなのがあるのだろうか。
インフルエンザ患者が職場で出たことや俺自身鼻水やくしゃみやせきが結構あるので面会にはとてもいけないが、妻から写真を送ってもらって、再度赤ちゃんの顔を見てみると、やはり俺に似ているような気がした。
生まれた直後の妻の感想では目元が俺に似ていると言っていた。
未だに父親になったという実感はあまりない。うちの母親いわく、これからは赤ちゃんに俺たち親が育ててもらうことになるようだ。子を持つことで成長できる部分というのが人間にはあるのだろう。
前に社長が言っていたが、家庭を持ち子供が出来ると、男にとってもはや家庭も仕事になるようだ。だらだらしているヒマはなくて、家族サービスというか常に何らかの作業や気配りが必要らしい。
生まれて七日目に命名式というのをやるらしい。今日なのだが、名前を何にするか少し迷っている。今日中に決めるのは決めたが出生届けの赤ちゃんの名前欄を記述するのは勇気がいる。婚姻届みたいな制度が不要だという人もいるようだが、こういった正式な書類に名前を書くという行為は、一つの区切りとして儀式として非常に重要だと思う。現代人は儀式を軽視する傾向があるが、納期みたいなものでその区切りがあることで多くのことがスムーズに進む。子が生まれるというのは奇跡だし、その子に名前をつけるというのも大変に重い行為だ。そういう人智の及ばないものを制御しようとしたらどうしても儀式は必要だ。人に背負いきれないものを代理してくれるのが儀式だ。とてもありがたいものである。
妻は三時間おきに搾乳というのをやっている。赤ちゃんに母乳をあげなくちゃいけないのでを定期的にとってストックして毎日赤ちゃんに届けるのだ。夜中とか関係なく三時間おきにやらなくちゃいけないようでだいぶ眠そうだった。昨日は俺も朝まで付き合ったが昼間は寝てしまった。