筑紫哲也はすごかった

「若き友人たちへ」のあとがきは、筑紫哲也が高校時代に書いた文章が娘さんの希望で載せられていた。おどろいた。高校生の書くようなレベルではなかった。やはり偉人というのは子供の頃からその片鱗を見せるものなのか。
私が高校生のときに書いた文章を思い出してみる。学校の教師が自殺をしたときに、その先生に対して何かみんなで書きましょうみたいな流れだったので、「うちの金魚が死にました。教師が死んだことよりもよっぽど悲しいです。」という内容のものを提出したら、担当教師になんだこれはと怒鳴られ、みんなの前でその恥ずかしい文章を朗読させられた。私としては、他人の死など本当はちっとも悲しくもないのに、それに対してみんなで悲しんだふりをして虚言を並べるのがあほらしいと思って一石投じたつもりだったが、大変な目にあった。
だがそんなくだらない文章も、高校生時代の筑紫哲也との共通点も見受けられた気がした。諦念、のようなものである。やたらに冷めているというか。筑紫哲也のあとがきを読んでみればわかるが、当時の彼は周りを見下していたようである。こいつらみたいなくだらない人間にはならないぞと固く誓った的な文章もある。なんだ筑紫哲也中二病かとホッとしたものだ。