議論の余地があることの非合理

「プレステのせいではない、若者のクルマ離れの理由は? 〜Twitterで話されているたとえばこんなこと ●干場」http://d21blog.jp/discover/2009/10/post-d1c1.html
この記事を読んでどう思ったろうか。
様々な立場や世代の人からいろいろな意見が出されていて、とっても建設的、こういうのがあるからtwitterはすごいや、と思ったろうか。
私が思ったのは、またかよ、である。車についてtwitterでのみんなのつぶやきを列挙しているが、どこかで見たことのあるような意見ばかりである。

クルマだけではない。少子化とか婚活とか教育とか、素人でも簡単に意見陳述ができる話題というのはいくらでもある。まさに自転車置き場理論で、どうでもいい話だけにどうでもいいことをたらたらと垂れ流す。

NHKでたまに特番を組まれるのと同じで、2時間もやれば、意見は出尽くす。その出尽くした意見を、頼むからみんな暗記してくれよと思う。一度だけ、一度だけしっかりと頭に叩き込んで、もう二度と思い出さなくてもいいようにしとけよ、と。

でもみんな明日には忘れて、またこうやってネットの貴重なスペースを使って自転車置き場での無駄口を始める。
技術者用語にRTFMというのがある。「Read The Fuck Manual」である。「そんなくだらないことをいちいち聞かないでマニュアル読めよカス」という意味である。あんまりにもみんなが同じことを質問してくるのでちゃんとマニュアルに書いてあるのに、それを読まずにまた同じ質問をしてしまうと叩かれる。こういう仕組みが、一般素人の議論には欠けていると思われる。

一般議論には、何故かマニュアルがないのである。ありきたりなありふれた話題の議論については、どこか一箇所にまとめページをつくっておいて、それについて何か言いたいやつは最低限目を通して、同じことは二度と書くんじゃねぇよという仕組みが必要なのではないだろうか。

twitterには私は反対である。素人はもっと口をつつしめよと思う。そうしないと、最後には主婦のおばちゃん連中にネットは支配されてしまうぞと。例えば発言小町がある。あれがもし読売新聞のサイトから解き放たれたら、いったいどうなってしまうのか。すでにはてなブックマークはだいぶ汚染されてしまっている。

ネットには住み分けが必要なんじゃないかと思っている。インターネットは確実に破綻に向かっている。技術者は技術者の、主婦は主婦の、ガキどもはガキどもの、そういうクローズドネットワークでやっていかないと、そのうち戦争になってしまうはずだ。パソコン通信時代に戻る必要があるのではないか。これからはそういう住み分けを可能にするソフトが流行ってくるのではないか。