昨日は、以下の本を買った。「まつもとひろゆき コードの世界」、「ニーチェ-ツァラツゥストラの謎」とあと一冊。まつもとひろゆき氏の本はいかした表紙であった。本人の決めポーズが表紙の中心を占めている。このようなスタイルは欧米のプログラミング本では一般的だが、日本では珍しい。というか初めて見た。というか欧米人のハゲのおっさんの顔がでかでかと載っているような本を部屋に置きたくないのが人心というものだ。あいつら、むさい。だからいかに技術書マニアの私も、買わない。オライリーの本はその点優秀である(動物とかイラストなので)。しかし、Matzはさすがに違っていて、部屋に置きたい本となっている。むしろ表紙を向けて置きたいと思わせる。私の記憶の中の最初の頃のMatzは、なんというか冴えないおっさんであったような気がする。しかし、ヒゲをはやしだしてから、激変した。抱かれてもいいと思えるほどである。ヒゲというのは不思議なもので、男の顔の価値転換を図る効果がある場合がある。人によっては、逆効果なのだが。私はヒゲが薄いため望むべくもないが、はやしたところで、なんであろう。ヒゲといえば弾言とかほざいてるおっさんが思い浮かぶが、Matzに比べればずいぶんチャチである。日本の若きプログラマ諸君には、Matzを崇拝しているものも多かろうと思う。彼は日本人の希望であり誇りである。優れた技術者にはカリスマ性が必要という一面を思い知らされた。能力的に同程度なものはいくらでもいるだろうが、カリスマでなければ道標には成り得ない。ひがやすをとか成り得ない。国内ではMatzかやねうらお氏くらいであろう。この本は日経Linuxの連載のまとめのようだが、日経Linuxなんてあまりに需要がなさ過ぎて、時々立ち読みしても、Matzの連載くらいしかめぼしいものがなかったりする。がんばって欲しいものである。次に、「ニーチェ-ツァラツゥストラの謎」であるが、これは「ツァラツゥストラはこう言った」の副読本的なもののようだ。「ツァラツゥストラ」は少し前に読み終わったが、途中で何度も放り投げるくらい難解意味不明で内容はさっぱり理解出来なかった。悔しいので、買った。ニーチェの本はずいぶん読んだが、いまだによくわからない。しかし、「道徳の系譜」を読んで、少しだけきっかけをつかめたような気がした。概念を源流へと辿る系譜学というのは技術者として知っておくべきだと思った。

さて、もう一冊買った。「専門医が語る 毛髪科学最前線」である。この本は、衝撃的であった。薄い本なのであっという間に読み終わってしまった(なんという皮肉か)。というか今、朝になってしまったが、夜中にMatzの本を読んでたら飽きてきたので切り替えたらむさぼるように読んでしまった。Matzの本より、遥かに価値がある。日本男児のみならず女性諸氏にあらせられましても、この本にはぜひとも目を通すべきである。要するにハゲのことについて書かれてある。ハゲ、それは闇である。この本によれば、アリストテレスやシーザーでさえ、ハゲに悩んでいたそうである。中世ヨーロッパの法曹や貴族がカツラをつけたのも、ハゲ隠しが一端であったそうだ。人は闇を恐れるものだ。しかし、人類史の影を死人のように連れ添って来たこの問題は、長らく光を当てられることはなかったのだ。人は何故ハゲるのか。その問いかけに答えがつけられたのはごく最近のことらしい。2005年に爆笑問題のCMで話題になった特効薬が国内に登場した。フィナステリドという服用薬だ。医者の処方箋が必要だが、これによって、ハゲの主要因である「男性型脱毛症」は治療可能になったそうだ。即効ではないが、半年とか一年とか、継続して投与することで、奇跡を起こすそうだ。著者自身が実践して写真まで載せていた。奇跡の写真はまぶしくなかった。劇的に髪が増量していたのである。しかもこの薬、副作用はほとんどない。前立腺が若干縮小するそうだ。だが、保険適用外のため、一ヶ月一万円ほどかかるらしい。さらに、投与を止めてしまうと、悪夢がぶり返すそうだ。本人の気の済むまで投資が必要だそうだ。しかも、女性にはほとんど効かないそうだ。男性であれば、確実ではないものの、かなりの高確率で成功するようだ。この薬の投与は、はやければはやいほどいいようだ。逆にほとんど髪が抜け落ちてしまった場合は、カツラとか植毛の方がいいそうだ。人口毛の植毛は、外国では禁止されていて、日本ではまだやっているが、リスキーだそうだ。最近のトレンドは、自分の髪を植毛するのだそうだ。男性型脱毛症の特徴は、頭の頂点と前頭部分がせめぎあうことがそうだが、側頭や後頭はそうでもない。で、そこから頂点とかに移植するんだそうだ。しかも、後頭とかの毛は男性型脱毛症の被害をまぬがれるから簡単には抜けないようだ。ところで、もうひとつの主要因である円形脱毛症については、一筋縄ではいかないようだが。ストレスはあくまでの引き金の一つでしかないそうだ。というわけで、うさんくさい民間療法に大金つぎ込むより脱毛症外来へ行けば悩み解決というわけのようだ。考えてみれば、おかしなものである。髪の問題は、人類の問題であるのに、ごく最近まで正統な解決策は存在しなかった。だからうさんくさい詐欺のような民間療法がはびこったのである。医者で適切に治療できるのであれば、そもそもそんなものは必要なかった。貧困も同じである。政府のセーフティネットがしっかりしていれば、貧困ビジネスなど不要なのである。政府が担うべき責務を悪党が担っていることが問題なのだ。正統の不在。プログラミングにもそれは言える。Rubyは正統にはならないだろうが、いい線いってると思うのである。ニーチェのいう超人への架け橋であるような気がする。