列車の窓から景色を楽しみながら

長い時間眠っていた。さっき目が覚めた。今僕はパソコンの前にいる。ここはネットカフェではない。今朝の8時頃まで、僕は高知市のネットカフェにいた。ナイトパックを申し込み狭い部屋で倒れこむように横になり、泥のように眠った。僕は奇跡を起こせたと思う。日記の更新が一時停止したあのあと、携帯電話が故障した。濡れないように、かついつでも取り出せるように、カッパのポケットに入れていたのだが、大量の雨の前に意味をなさなかったらしい。取り出そうとポケットに手を入れると、ぐちゃという音がして、ポケットの中に水たまりが出来ていた。取り出した携帯の電源は、入らなかった。しかし、僕は高知市を目指しひたすら歩き続けた。何時間も、何時間も、雨は一向に弱まらず、台風のせいか途中の峠の辺りで降水量も風の強さも最大になり、時々通るダンプのヘッドライトで道を確認しながら、それでも僕は歩き続けた。そして、僕は翌日の午前8時頃、高知市へ到着した。最後にちょっといんちきをしたが、それでも一応到着した。前日の道の駅の出発時刻が大体朝の5時だったから、僕は途中食事休憩をはさみながらも、24時間以上歩き続けたことになる。年中パソコンの前でコーラを飲みながらにへへと笑っていた僕の、生来の運動音痴で逆上がりさえ出来ない僕の、一体どこにそれだけの体力があったのか不思議でならない。いや、体力ではなかったのだ。体力なんて旅の初日にはもう底をついていた。僕を歩かせてくれたのは、女の子に抱きしめてもらったあのときの記憶たちだ。僕にまとわりついて、僕を侵食してじわじわと絞め殺そうとしていたあの闇、どうしても、何をやっても晴らすことの叶わなかったあの孤独は、今の僕にはもうないんだ。歩いたって何がもらえるわけじゃない。ギャラもでないし、どこかの他人の笑いものや慰みものにされるだけだ。就職出来てニートを卒業できるわけじゃない上に貯金は恐ろしい速度で減っていく。アトピーもどんどんひどくなる。どちらも一度傾いた状態の修復は難しい。でも、たとえ合理的なメリットなんて何一つなくても、自分が思いつきであれやると決めたことを実行しきるだけの、槍を得られたのだ。旅を始めてから歩き続けた日々で、僕はその槍を必死に練磨した。大雨のなか湿気や浸透した雨で皮膚がぐしょぐしょになって狂気のようなかゆみに襲われながら、靴擦れやまめや水ぶくれの大量発生で機能停止しかけている足を踏みしめながら、それでも僕は楽しかった。やっと自分にも支えてくれるものが出来たのだ。本物の恋人ではない。金による数十分の心と隷属の取引の結果でしかない。僕の相手をしてくれた風俗嬢たちの目を見ていればわかる。当然彼女たちは金銭の対価として心を凍結しサービスしているだけで、僕に対して優しさや性的な感情は一切持っていないし、僕の肌に強烈な嫌悪感を感じている。サービスの途中にもなんだかぎこちのない停止時間がある。照明を多少落としたって隠しきれるレベルじゃないんだ。僕は本当に申し訳なくなる。ごめんなさい。たった一万円でこんなむごいことをさせてごめんなさい。僕は僕を救うためにあなたたちを利用しているだけだ。そんなことを考えながらも僕はフェラチオしている女性の顔をじっと見つめている。少しでも性的興奮を高めようと必死に妄想を膨らませる。上下運動する彼女たちの顔をネタに妄想をエスカレートさせる。それでも結局感じることはなかったし射精もせずに全て終わった。僕はかわいそうだって思った。どんな理由があるか知らないけれどたかが1万から数万の金と引き換えに数多の男、ましてや僕のような見た目も中身もゲス野郎のペニスを生で何十分もしゃぶり続けなければならない彼女たちに深い悲しみを覚えた。普通の男性のようにフェラチオされるのが意識飛ぶくらい気持ちよかったらそんなことを考えることなんてなかったのだろうけど、気持ちよくないから頭が冷静になってしまう。これは陵辱だ。レイプなんじゃないのか?わからない。女性の心の構造は知らない。でもこういう行為をすることは魂を売却する行為だと思う。僕は女性にしか出来ない素晴らしい仕事だと思うけれど、やっている当人たちの心のダメージを思うと胸が苦しくなる。松沢呉一の「エロ街道をゆく」の中でこんなエピソードがあった。この著者は特殊な経歴の持ち主で、作家でもありあやしい店の店員であり、エロ雑誌の記者でもある。彼は取材でとあるSM女王と知り合ったんだけど、彼女は彼に対してプレイしてくれた頃はとてもはきはきとした人だったけど、何があったのかSM嬢を引退し、その後にふとしたことで再会してみると、ものすごいやせていたそうだ。げっそりと。でもその後また元に戻りSM界へ復帰したらしい。細部は覚えてないけどこんな感じだったと思う。SM店に勤める女性たちは気丈に振舞うけれど、内心、男たちの飽くなき欲望にうんざりしているらしいし、相当なストレスもあり、そういうストレスが多少は風俗料金にも加味されているらしい。SMに限らず、風俗に勤めるということはストレスだろうなぁと思う。夜の繁華街を歩いていると、男たちが徒党をくんだりして楽しそうに闊歩している。手に雨傘を持って、ちょっと顔を赤らめて。時々緊張している青臭い少年ぽいやつもいる。二人か三人でグループで行動してる。おどおどしながら店を探しているのだろう。彼らの大半はこれからヘルスやソープへゆくのだ。ここはそういう街だから。男たちの顔や体型に目をやる。イケメンだったり超ふとったブサメンだったりいろいろだ。あんなやつらに裸を見せるのか、あんなやつらのあれをしゃぶるのかよ、などとエロゲばっかりやって純潔思想の極致な僕は思ってしまう。いや、気持ちいいならまだましかなとも思う。たとえ相手がキモメンでも一応人間なんだから、触られたりなめられたり吸われたりすることで多少なりとも快楽があるならましかなと思う。でも僕がそうだったからじゃないけど、やはり人間というのは慣れからは逃れられないと思う。最初は敏感で感じても、慣れてくるとなんにも感じなくなっちゃうだろうな。そうなると本当に全て演技でやらなければならない。アソコ舐められて、気持ち悪いけれどうその喘ぎ声をあげて、気持ちよくも何ともないのに。そういうことを毎日繰り返しているといことは、確実に心を蝕むはずだ。そんなことをつらつら思いながらなおも風俗へ通う僕はクズですねはい。キモメンがよけいなこと考えるなってのもそのとおりですね。すごく失礼なこと書いてるのはなんとなくわかるけど、ただの偏見ですかね。侮辱ですよね。すみません。


あ、話がそれてしまった。どこまで書いたんだっけ?そうそう、僕は今パソコンの前にいる。ここは僕の部屋だ。僕の家だ。そう、僕は地元に帰ってきた。ネットカフェを8時に出てすぐに駅に向かい、ちょうど出発予定だった特急列車に乗り、帰路についたのだった。途中で台風の大雨の影響で列車は止まり、1時間近く待たされたけど、線路の点検が終わったらしくまた動き出した。そうして地元の駅につき、ずらずら並んでいるタクシーの先頭車に乗り、昼前くらいには我が家へ辿り着いた。たった何日かしか経っていないのに、自分の部屋のドアをあけて中に入ったとき、なんだか自分の部屋じゃないみたいだった。壁に並んだオライリーの本、プリントアウトした技術情報の山、部屋のあちこちに転がっているティッシュ箱、カバーが変形してうまく装着できなくなっている数年前にいじったきりの自作パソコン、僕のパソコンに、僕のイス、僕はここで何を考えていたのだっけ?毎日悩んでたよな。毎日一人で、一人で一人で。これからもこの部屋で悩むのかな?一人で。来年も再来年も、外から聞こえる花火大会の音に怯えて、コンビニの駐車場でいちゃつくカップルをにらんで、登下校する子供たちに嫉妬して、おいしいとも楽しいとも気持ちいいとも感じることもなく、夜に誰にも気付かれずに散っていく花びらみたいに、夜中に汗でむれてかきむしってはがれていくかさぶたみたいに、消えていくのだ。


僕の大好きなミステリー作家の一人にトマス・H・クックという人がいる。彼の作品の一つに「心が砕ける音」というのがある。僕もそれを聞いた。心が、砕ける音を。信じられなかった。金の関係だけど、それでも女の子に抱きしめてもらって、毎日平均10時間以上歩いて、最後の日なんて24時間中歩いて、もう僕の心は完成されていた。もう何がこようとびくともしないくらい鉄壁なものになっていた。でもだめだった。一瞬だった。ほんの一瞬で、僕が築き上げた新しい僕は、粉々になって消えてしまった。どこから話そうか、ずいぶん長い話なんだ。そうだ、やはり更新が途絶えたあの日の夜の10時頃から始めるのが一番いいかな。あの日の夜から夜中にかけて、そして翌日の夜中まで、携帯が壊れて日記も更新できずに気分がふさぎこんでいた僕は、この世のものとも思えない恐怖を見た。恐らくこの地球上に存在する男の誰一人とて、あのおぞましさには太刀打ちできないだろう。本当に恐かった。でも、いくら震えていたって、誰も助けにはきてくれなかった。僕はひとりぼっちで、あの闇に対峙しなければならなかった。今もこうやって記事を書いているのが不思議なくらい、それくらい死に近かった。何かひとつでも歯車がちがっていたなら、僕はもうキーをタイプすることもなかっただろう。


ここから先は私小説形式でいく。