幼児的全能感の邪魔する奴は死ね!

子供の頃の世界って何であんなに綺麗だったのか。僕は仮面ライダーの変身ベルトとライダーヘルメットを装着して、へんし〜んって毎日ヒーローごっこやってた。ごっこなんて名前はついてるけど、やってる本人たちは超真剣だった。みんなが仮面ライダーをやりたがるから、誰も敵がいなくて、それでもなんとかストーリーを展開させて、ひどいときなんか最初から最後までへんし〜んってみんなで言い合って終わっていた。僕たちはライダーキックが使えたし、悪の秘密組織ショッカーと唯一対等に闘えるこの星のヒーローだった。ライダー仕様の三輪車にみんなで乗り、フェンスに囲まれた狭い公園の敷地を何週もしながら怪人と闘った。ライダースーツなんかなくても、僕らはいつもヒーローだった。どんな猛獣が生息するかわからない竹やぶの中に広告を細く丸めて作った即席の刀剣を片手に飛び込んで行き、虫にたくさん刺されてもびくともせず、中が真っ暗で何も見えない川辺の土手に開いたトンネルへと探検に出かけた。この世界で一番恐いのはママだ。ミルクをこぼすたびにガミガミと鬼の形相で怒ってくる。でも夜になれば、柔らかいタッチの絵本を何度も何度も、僕らが寝るまで読んでくれる。この世界で一番優しいのはパパだ。ちょっとタバコくさいけど、仕事から帰ったら真っ先に遊んでくれる。おうまさんごっこをしてくれる。欲しいおもちゃをママに内緒でこっそり頼めば、次の日にはこっそり渡してくれる。毎日が、笑って、笑って、泣いて、笑って笑って笑って、そんな風に過ぎていった。子供というのは好奇心が旺盛なのだそうだ。だからあらゆるものに新鮮な刺激を感じ、もてあますけれどなんとかそれを自分に取り込もうとし、泥だらけになりながらもどんどん大きくなっていく。無限の可能性なんだ。太陽をたくさん浴びて、愛情をたくさん感じて。


でも今は、大人になってしまった今は、自分の成長した姿ばかり眺めて、なんでこんなに葉が少ないんだ?とか、どうして枝がこんなに細いんだ?とか、嘆いてばかりだ。その木の小ささは好奇心の乏しさをあらわしているんだ。何をやっても虚しい。本を読んでも、タバコ吸っても、ビール飲んでも、友人とがやがや笑ってるときでさえ、目はちっとも笑ってなんかいない。何人女を抱こうと、どれだけ射精しようと、朝日に裸を照らされたくはない。たくさんの雨を浴びるけど、その雨は汚れているから、どんどんやせ細ってしまう。みんなでわずかな養分を奪い合い、貶め合う。電車の吊り革を握っている手の平が、いつの間にかそれから手を離してしまっていそうで、何度も何度も確認する。たくさんの人と毎日すれ違うけど、すれ違うだけなんだ。同じ軌道を歩く人はいない。どうしてこんな風になってしまったの?昔はなんだってできた。ヒーローだったんだ。たくさんの少女を助けたんだ。いっぱい町を守ったんだ。この星を救ったんだ。一流の画家でもあった。誰もがうらやむ詩人でもあった。ピアノを演奏すれば大人たちがあらん限りの拍手で迎えてくれた。おもいっきり走ればちゃんとゴールで先生が特製のメダルを用意してくれていた。なのに、どうして。


大人になるってのはそういうことなんだよといわれた。子供の頃のそういった全能感は、成長にはかかせないものなのだそうだ。そうやって全部肯定されて、あらゆる方向に枝を伸ばしていくことが大事なんだと。幼児的全能感というそうだ。でもいつまでも伸ばし続けることは叶わない。学校へ行ったり、就職したりして、恋愛とか学問とかプロジェクトとかで、いろんな挫折を経験して、そうやって自らの空想の全能感を社会や現実と擦り合わせることで、やがて落ち着いていくんだよと。誰もがそうやって地に足をつけていく。それが大人になるってことだそうだ。えらくてかしこい大人たちは、若者をバッシングするときによくこういうそうだ。「夢ばかり見て、ちっとも腰が定まらない。自己評価が全く出来ていない。何にもできやしないくせに、自分では何でもできる気でいる。まるで子供だ」。その傾向はあるかもね。誰もが夢を追ってる。3年離職率が高いのもその影響?俺のしたい仕事はこんなちっぽけなものじゃない!って、出て行っちゃうのかな?その人はまだ捨ててないんだね。子供の心を、この世界で枝を伸ばすために絶対に欠くことのできない大切な羽を、まだちゃんと大事に持ってるんだね。それを捨てろっていうの?そんな翼飾りだからもごうっていうの?おまえら一体何様なの?自分がそうそうに羽をちぎって毎日暗い世界で生きているからって、どうしてこれから飛び立とうとする人たちの邪魔をするの?それは嫉妬じゃないのかい?ただの怨嗟だよ。おまえらは小難しい言葉で取り繕うけどさ、要はこういいたいんでしょ?「俺はこんなに苦しんでいるんだからおまえらも苦しめ。もっとあがけ。もっと血を吐け」ってさ。死ねよ。おまえら本当に邪魔なだけだよ。不要だよ。生きている価値ないよ。何の能力もないくせに、毎日頭下げて脂汗垂れ流すだけのブタのくせに、努力なんてしたことないでしょう?何かになろうってあがいたことなんてないんでしょう?道端でギターひいてる若者にツバを吐くんでしょう?あなたには出来ないでしょう?ただギターケースだけ抱えて、街を歩いて、誰も立ち止まってくれなくても声を上げつづけることなんて出来ないくせに。あなたは知らないでしょうけどね、あなたの言葉で、あなたの評価で、これまで何人が死んだと思う?両手の指じゃきっと足りないよ。あなたの頭の毛の数でも足りないかもね。あなたはこの世でもっとも卑劣な殺人鬼なんだね。あなたの手はきれいだろうね。何の苦労もしたことのない、真っ白な手。でもね、あなたの頭の中は、あなたの口は、血で汚れているよ。

もうだめぽ

病院行こうとしたら財布の中に免許証と保険証が入っていないことに気付いた。そしてなぜか小銭入れのところに小さなカギが入っていた。そういや高知駅のコインロッカーに安全のために移動してたんだよな。市役所に電話して保険証の即時発行を希望するとすぐにできるそうだが免許証が必要なようだ。鶏が先か卵が先かというやつか。終わった。今両足を視認しているんだがどうも相当やばそうな部分がいくつかある。左足の中指が爪の辺りも含めてひどい紫色になっている。両足の靴擦れの部分は一応かさぶたっぽくなってきているのでまだましか。右足にいたっては親指と小指以外の指の爪のところがなんか壊死しているような色になってる。旅の途中足の裏も痛かったんだがそれよりも指先が痛かったんだよな。それもこれも俺のミスなんだが、俺はてっきり新しい靴ほど耐久性も高くて歩き旅には適しているだろうと思い込んでいたんだが、それって最悪の選択だったらしい。初日の夕暮れ時に寄ったたこやき屋でおきゃくさんもまじえていろいろ話してたら、靴のことに話題が移ったんだけど、こういう旅のときに新品の下ろしたての靴を使うのは相当アホだったようだ。使い古した慣れた靴でするべきだったとさ。履き込んだ靴なら、自分の足の形にうまく合うように変形してくれてて、負担も少なくてすむけど、新品ならまだ靴底の形とかも全くなじんでいないから、あっというまに靴擦れやまめになっちゃうんだそうだ。人それぞれ歩き方には癖があるから、その癖になじんだ靴でないとひどいことになるらしい。知りませんでした。とほほ。そこのたこ焼き屋のおっちゃんによれば、数年前にお遍路さんがすぐ近くの公園で3,4日足の回復につとめていたときがあったらしい。足が一度だめになると、本当に回復にはそれくらいの日数が必要なようだ。次に旅を開始するときはもうちょっと対策をとっていこうと思う。さて、病院どうするか。保険証がないとその場で全額払わなきゃだめらしい。あとから保険証を持っていけばちゃんと返還されるらしいけど、もうそんな機会はないしな。車で高知駅まで取りにいこうか…

服買いに行ってくるか

ほとんどの衣服捨てちゃったから買い足さにゃならん。しかし俺がいろいろ捨てたあとにあそこら辺通った人たちはさぞ不思議な光景を見ただろうね…バス停の中に寝袋とズボンが並んで捨ててあるなんて一体ここで昨夜何があったんだ?って感じで。冬用の装備を整えなきゃな。

また寝てた

だめだ。眠すぎる。さっき目が覚めたら歯が痛いのに気付いた。左の下奥歯が痛い。親知らずがあるんだよなぁ。でも保険証なしで歯医者なんかいったら目ん玉飛び出るくらい請求されるだろうしなぁ。