横浜の部屋の本を電子書籍化計画

東京の友人に横浜の部屋を1か月貸して部屋にある本を全て電子書籍化してもらう作業を依頼している。全ての本を段ボールに詰め終わったと連絡があった。16箱で975冊とのことだった。一冊電子書籍化で150円だから15万かかることになる。死ねる。貯蓄が消し飛ぶ。死ねる。妻の本が200冊いかないくらいだからほとんどが私の技術書と哲学書である。妻が切れて全部捨てろと脅迫してくる。せめて200冊削れと。バカな。本は私の人生なのだ。それを捨てるなどできるわけがない。体から力が抜けていく。もう全部実家にそのまま送るか?しかし放射能汚染された本などもはやゾンビアンデッドであって触りたくもない。クリーンな電子書籍が時代にも合っている。福島原発のせいで何もかもめちゃくちゃである。私の人生を返してくれ!いいや。そんなことをいくら叫んでも失われた日々は帰ってこないのだ。今にして理解しているのだ。私は東京での仕事や関東での暮らしに心底サティスファイしていたのだ。あの日々を愛していたのだ。ささやかながら私が私の手と汗と血で築き上げた人生だったのだ。私の二十代、青春だったのだ。それが全て失われた。全てだ。放射能にビビるようなチキンなハートがまずかったのか?いや違う。私はチキンではない。私が東京を放棄したのは私の幼い娘と私の未来の子供のためなのだ。遺伝子損傷させるわけにはいかない。私には私の子孫を守る義務があるのだ。私の一族を未来へつなぐ使命があるのだ。そのためならメンツも義理も仕事への情熱も全てかなぐり捨てるだけの覚悟だったのだ。私は私が勤めていた会社を愛していた。人格者である上司に恵まれ義に熱く面倒見のよい先輩に恵まれ、優秀さには欠けるが気の置けない同僚に恵まれ、アスファルトに響かせる靴音にさえ一定の誇りを含ませていられたあの生活の全て。もうどんなことをしても取り戻せはしない。涙など流れないのだ。私は私が失ったものを測る術さえ持たないのだ。