最愛の弟

前にギターを弟から習ったって話を書いたが、その弟について、ちょっと書いておく。こんなことをネットで書くことは許されざることだと思う。でも、弟はもう大丈夫そうだし、彼のことを書くことは意味があると思うから、書く。
長いよ。でも、きっと得られるものがある。最後まで読んでくれ。


弟とは二歳年が離れている。小さいころから、ケンカばかりしていた。そのくせ、いつも一緒にいた。テレビゲームのソフトを買うときも、両親はひとつしか買うつもりがないのに、僕らがそれぞれに自分の欲しいものを主張して絶対に譲らないから、結局二つとも買うことになる。僕はゲームを選ぶセンスがなくて、僕が買うゲームはいつもつまらなかった。たとえば、僕がガンダムの「円卓の騎士」っていうクソゲーを選んだとき、あいつは「聖剣伝説」を選んだ。ゲーム雑誌とかの情報は一切ないのに、彼はちゃんと見抜いていた。弟とはちょうどひどい仲たがいをしていて、僕はいつも指をくわえて弟がゲームするのを見てた。やらせてともいいづらい。そのゲームは二人プレイが一応できるやつだったけど、そのまま何もいえずにずっと見てた。記憶は飛ぶけど、僕は弟とそのゲームをした。どっちから言い出し方は覚えてないけど、仲直りしたみたいだ。駄々っ子で、わんぱくで、憎くて大嫌いだけど、俺の弟、大好きな、俺の弟。


僕には弟と妹がいる。兄弟の中で、僕だけが顔が悪い。ふざけてる。弟は中学生のときから普通に彼女とかいたみたいだった。


ボールぶつけあって、爪立ててひっかきあって、それでも僕らは兄弟だった。僕がどこか行くと、必ずあいつが一緒にいた。川へ行くときも、海へ行くときも、ときどきあいつがいないときがあると、なんかさびしかった。小学生のとき、彼には同年代の友達もそこそこいたようだけど、僕の友達とを交えて遊ぶことの方が多かった。たくさんいけないことをした。物流会社の倉庫のガラスをみんなで一斉に石をなげて破壊したり、スーパーでお菓子やアイスをたくさん万引きしたり、もちろん全部あとからばれて、親からはこっぴどくしかられたが。


中学生になると、弟は僕のそばにいなかった。いや、僕が悪かったんだ。いろいろあって、あのころの僕はすごく荒れてた。部屋に閉じこもってゲームばかりして。どうやら悪い友達と付き合っているらしかった。地元でも有名な不良のリーダーの舎弟のようなものになっているらしかった。でも僕にはどうもでいい話だった。僕はゲームだけしていた。そればかり考えて、現実から逃げていた。


僕が高校3年の夏、事件は起こった。すべてを変える事件、すべてを終わらせて、引きちぎって、もう二度と元に戻すことにできないくらい深い傷。僕は、毎日毎日泣きながら夜の田舎道を走った。ランニングの趣味ができたのはこのことがきっかけだ。弟は死んだ。きれいな顔の、小柄で愛嬌のある、憎たらしいけど大切な、あの弟はいなくなった。


そのとき、僕はネットゲームをしていた。夜中の2時半くらいだった。電話がなった。電話は一階にあって離れているけど、どうしてか聞こえた。そして、胸騒ぎがした。さっきサイレンが聞こえたからだ。消防車のサイレン。もう取り返しのつかないことが起こってしまったのだと知るのは、その直後のことだ。親も寝床から出てきていた。そのころはもう弟は家によりつかなくなっていた。家族でもいろいろ話したけど、いつも最後は僕と弟の殴り合いになってしまってどうしようもなくなる。弟は高校へは行かなかった。


赤い点滅が夜の闇に反射する。たくさんの野次馬と、たくさんの消防員、そして燃え上がる家、弟と不良が手当てを受けていた。手当て?いや違うな。あれはただ水をかけられていただけだ。二人とももう人間じゃなかった。体中にひどい火傷を負っていた。僕は弟を見た。これがあいつなのか?なんだよ、これ、ただのゾンビじゃないか。そんなことを冷静に考えていた。でも、それはただの緊急回避だったのだ。失ったのだと気づいた。僕が殺してしまった。僕が家庭を壊したから、それで、あいつは…。僕は家に逃げ帰った。そしてネットゲームを始めた。逃げたい。逃げたい。病院から連絡があった。人間は全身の3分の1に重度の火傷を負うと相当あぶないらしい。弟は全身の3分の1.5に焼けどを負っているそうだ。多分もたないらしいと聞かされた。弟は痛みで叫び続けているらしい。手の施しようがないそうだ。医者もまだ来ていないらしい。とにかく今日は寝ろといわれた。僕は無視してネットゲームをする。何も考えられない。


ガスに引火したらしい。弟とその不良のリーダーは、そのリーダーの家の倉庫で、ガスを吸っていたらしい。そして、そのガスにライターの火が引火したそうだ。ガスで頭がいかれている状態でそこまで気がまわらなかったのだろう。ライターを着火したのは弟の方だそうだ。そして、そのことが理由で、その不良のリーダーの親から、ずいぶんな額の賠償金をとられた。示談で終わらせたらしいが、1000万円を超える額だったらしい。ガスを弟にやらせたのはその不良なのに、なんでなんだよ。


僕は、弟はその不良と好きで一緒にいるのだと思っていた。でも違った。弟の腕には、たくさんのタバコで焼いた跡が残っていた。そいつにやられたようだ。おもちゃにされていたらしい。僕たちがそのことを知ったのは、もっとずっと先の話だ。弟は一命をとりとめた。ただし、溶けてしまった皮膚はもうどうしようもない。なによりむごいのは、あれだけ整っていた顔が、もろに全部焼けていることだ。はだしのゲンに出てくる原爆でやけただれた人たちと同じ顔をしていた。あまりにもむごいと思った。どうやって生きてゆける?こんな体で。


弟は、手も、足も、背中も、ほとんどの部分にひどい火傷を負っていた。火傷には1度から3度まであるらしいが、確かひどいところは3度手前くらいだったらしい。ここらへんは僕は知識がない。逃げて家に閉じこもっていたから。僕は弟の見舞いには一度も行かなかった。行けなかった。見たくなかった。写真で見てどんな状態かは知っていたけど。なんで写真なんかとったのかって?親がとったんだよ。この写真がこの子がこれから先生きていくために必要なんだってね。よくわからん。なんで火傷のひどい顔の写真がそういうのになるのかな。


火傷を負った体からはいろいろな体液やらなにやらが噴出すらしい。弟は入院直後、ベッドで横になって寝られなかったそうだ。だからベッドを立てて、うまいこと背中が接触してもましなようにしていたらしい。ここらへんは記憶があんまりない。


僕が弟と再会したのはそれから半年以上も先のことだ。弟は、生きてるのか死んでるのかわからない表情をしていたような気がする。気がする、というのは、直視できなかったから。顔はぐちゃぐちゃなのに、目だけは、あのころのあいつなんだもん。ふざけるなよ。なんだよそれ。


僕は弟にノーパソをあげた。ネットゲームを教えてやり、弟は楽しんでやっていた。僕たちはあのころの兄弟にまた戻れた。でも、それはやっぱりかりそめだった。弟はそれから数ヶ月もしないうちに、警察に逮捕された。パトカーを集団で襲撃したらしい。弟は先発をやったらしい。あの不良との関係は、切れてなどいなかった。僕はそいつを絶対に許さない。弟を壊した。あれだけ可能性にあふれていた弟は、今はもう何もできない体になっている。就職なんて絶対にできない。なのにそいつは、火傷が軽いのだ。弟よりはるかに。当たり前で、引火したのは弟がライターでタバコに火をつけようとしたところだからだ。そのとき爆発が起きた弟は真正面からそれに包まれた。かわいそうだよ。あんまりじゃないか?そして弟は少年院にはいった。以前から補導暦等あり、さすがに警察も看過できなかったようだ。半年以上出てこなかった。


次に家に戻ったとき、弟は以前より明るくなっていた。刑務所でいろいろな出会いもあったようだ。塀の中から手紙が何通かきた。それには家族への謝罪と感謝が書かれていた。僕宛にも、ごめんなさいと書かれていた。弟は知っていたようだ。僕が大学進学をあきらめた理由を。経済的にどう考えても無理だった。僕にだってわかる。あれだけのことがあって、数百万くらいじゃ絶対に済まない。裁判がどうなるかしらないが、もし負ければとんでもない額の賠償金を背負うことになる。そのときにはまだ示談の話さえ出ていなかった。それに、弟の治療費にしても、相当な額がかかったようだ。親は言ってくれなかったが、ネットでいくらでも調べられるんだ。それなのに僕だけぬくぬくと大学生活を送れるはずがない。なにより家族をおいていけない。妹はまだ中学生にもなっていないのだ。でも、なのに僕は働くことができなかった。働きもせず、マージャンばかりやっていた。自分でも意味がわからなかった。僕が家族を支えなくちゃいけないのに、なのに何もする気がおきない。どうしてだったのか、今でもわからない。いや、今も働いてないけどね。クズなんだろうな真性の。


弟は、また事件を起こした。また、あの不良と。父親の車を勝手に乗り回し、走行中のほかの車にぶつけてしまった。幸いけがとかはなかったが、相手の車を弁償するはめになり、400万くらい消えた。しかも即払いだったらしい。相手は教師のくせいに容赦がないんだな。弟は前歴もあり、どうしても事件を大きくしたくなかった親は、相手の理不尽な条件を飲んだ。保険会社の人も、あれはひどすぎると憤慨していた。詳しくは知らない。おいおい、うちにはもう金なんて残ってないんだぜ?


弟は、雇ってくれる人のいい居酒屋があり、そこで料理人の修行をすることになった。手にはひどい火傷があるが、それでもかまわないといってくれたそうだ。そこの先輩たちにもよくしてもらい、毎日大変だけど楽しそうだった。でも、弟はなぜかやめてしまった。弟は労働環境が悪すぎるみたいなことを言っていたが、僕にはわかる。皮膚が原因だ。僕にもできない。だれだってそうだ。できるわけがない。ましてや料理など、絶対に。


弟は絶望したんだと思う。だから、手首を何度も切った。遺書まで残して。僕は今でもその遺書の内容を覚えている。漢字全然知らないんだな。馬鹿だよお前は。


僕は何度も弟に言った。お前なんかいらない!死ねっ!ってね。殺してやるといって何度も殴りかかった。わかってた。気づいてたんだよ。そのときあいつ、同じように怒ってたけど、すごい悲しい目をしてた。ごめんよ。本当にごめん。何もしてやれなかった。なんのためにいるんだろうな僕は。


それからしばらくして、いつの間にか玄関に女物の靴が置かれているようになった。隣の弟の部屋からあえぎ声みたいなのが聞こえることもあった。いやまじで。で、二人は結婚した。弟の相手はひとつ年上だ。そして、弟は変わった。


誰も救えなかった。僕も、親も、どんなに手を尽くして言葉を尽くしたって、だめだった。だからその女性には僕は頭が上がらない。心から感謝している。彼女が救ってくれた。彼女は子供を身ごもり、今ではその子は2歳手前だ。すごくかわいい女の子だ。僕にはちっともなつかないけどね。


弟は今では太ってしまって、見る影もない。火傷の跡は、年月とともに少しずつよくなってはきている。ある程度以上は無理らしいが、最終的には皮膚移植だってできるだろう。顔もちょっとした化粧をすることで、普通の顔にある程度は近づけられている。今では僕は弟とギターの話ができるようになった。冗談も言えるようになった。また二人でテレビゲームをしたい。いっつも俺ばっか勝ってたけど、次は負けてやる。一生お前のことを考えて生きる。移植の金も、俺がなんとかしてやる。今はまだ無理だけどね。


弟は嫁と娘を連れてよく実家に遊びにくる。夫婦で楽しそうに話してるところなんて、本当に幸せそうだ。僕が姪を抱き上げようとすると、彼女は泣きながら親の所へ逃げていく。近頃はずいぶん語彙も増えて、いろいろ表現できるようになった。僕はおんちゃんとよばれている。まだ「ん」がちゃんと発音できていない。そして彼女は父親に抱きつく。父親が彼女を抱き上げる。僕はいつまでも、そんな弟を見ていたい。