ワーキングフール-働くバカ-

もうずいぶん以前から、社会はニートや引き篭もりを貶めるために精力的な活動ばかりするようになってしまった。彼らは僕らに向かって、人としての役割を一切負担しないしできない欠陥品であり、就業や恋愛など人間的社会的活動を行う能力を著しく欠いた廃棄物以下の存在であると、常々メディアやブログを通して発信してきた。直接的に知覚できるものばかりでなく、僕らへの蔑視を暗に滲ませる文章もいくらでもあった。中でも噴飯ものだったのは、彼らが僕らよりも知において優先席に座っていると規定している点である。彼らは有能で、僕らは無能なのだと。だが、それは違うのだ。労働による達成感や責任感や疲労感に酔っている、脳に局所麻酔をかけているような頭ではそう思うのも仕方のないことなのかもしれないが、冷静になるまでもなく、無能なのはお前らの方である。この国の真の問題は、ワーキングプアなどではなく、この働く低脳層、つまりワーキングフールなのである。単純な事実がある。ギリシャ時代、思想家たちの時代においては、労働は忌むべきものだった。労働とは、奴隷たちの作業だったのである。そう、お前らは奴隷なのだ。未だに世界を見渡せば、奴隷制度は存在している。しかし、我が国においては、そんなものは存在しないかのように見える。この国では誰であれ、100円と5円がありさえすれば、コンビニで竜田揚げを買うことができる。100万円あれば100種類の女性とベッドを共にすることができるのである。だが、なんのことはない。奴隷という仕組みが賢く運用されているに過ぎないのだ。従来のように、一部の特権階級が、残りの大多数の貧民を束ねて、奴隷として酷使し搾取するという構図では、いくら国民の大半は愚かといえども、あっさりとその構造を見抜かれてしまい、たちまちぼこられて革命を起こされてしまうことは明白である。だから、奴隷という仕組みを潜伏させたのである。皆が平等であり機会均等であるという妄想をばらまき、金持ちたちは身を隠し、残った大多数の国民たちに、互いを互いに臨機応変に奴隷とし合う環境を提供したのである。つまり、奴隷が遍在するようになった。ユビキタスである。それによって、従来は中等平民として、搾取もされるが同程度に搾取もしていた凡庸層まで、奴隷として駆り出されるはめになってしまった。夜はホテルで男をとっかえひっかえして楽しんでいる麗しの女性も、昼間は心を押し殺し、自分のふとももへ熱い視線を送る中年男性にさえ、満面の作り笑顔で頬をひきつらせるしかない。しかし彼女は気付かない。自らが奴隷であるという事実は、夜になれば男たちを奴隷としてもてあそぶという快楽によって、霧の中へと溶け込んでしまう。映画「ブレイド3」において、人間の血液を生存に必須とするヴァンパイアたちは、とうとう食料問題を解決したと主人公に対して言った。主人公がそこで見たのは、生かされたまま脳を破壊され、植物人間として保存され、適度な栄養を与えられ、絶えず作り出される血液を絶えず死なない程度に抜き取られていく哀れな人間たちのなれの果てだった。同じである。あまり追い詰めては死んでしまう。そうではなくて最適な効率で最大限に人から搾取しようと思えば、現代の奴隷制度は、まこと最適解なのである。そうすると、なぜ今日のように性産業が異常に発達しているのか、無修正のビデオがかくも乱立しているのか、わずか3000円でテコキしてもらえるのか、全てに説明がつく。これらは、男性が奴隷としての労働において傷心した部分を補修するためのからくりなのである。また、男性たちがそうやって性産業に収入の大部分をつぎ込むことによって、現代の資本主義はその地位を不動のものとしているのである。現代の労働者は働きすぎである。ワーキングプアもいるが、やはりそれなりに稼いでいる人が大半なのである。彼らがその収入の余剰を全て一般消費にまわせば、たちまちハイパーインフレが起こり、経済は破綻するだろう。資本主義は、人々がお金を使わないから破綻するのではない。お金を使わないから破綻しないのである。もはや世界は金余りなんて言葉では表現しきれないほどお金であふれている。貧民は日々の生活でかつかつだろうが、あるところには使い切れないほどの金がうずたかく積まれているのである。当たり前である。貧民が働きすぎたにもかかわらず貧民でありつづけている分だけ、金持ちにそれは流れているのである。もしこの金を皆で使い始めたら、たちまち市場は崩壊するだろう。どうしてこれだけ金が余っているかといえば、繰り返すが人々が働きすぎだからである。必要以上にものを生産し、運搬し、消費し、また生産し尽くしたせいである。その金をうまく吸い上げて、市場に出さずに内に閉じ込めてくれているのが、お金持ちたちなのだ。性産業はその吸い上げ窓口の一つなのである。もちろん風俗嬢にも多少金は流れるが、彼女らはブランドのバッグを買うか、ホストクラブで散財するかしかしないので、まずブランドに流れた金は、金持ちが受け止めてくれる。ホストクラブへ流れた金も、ホストは高い外車しか買わないので、これまた金持ちが最終的には受け止めてくれる。もしも彼ら彼女らが、その収入を高額商品でなく一般消費に切り替えたなら、たちまちスーパーのネギは880円に高騰するだろう。僕はこの仕組みを考え出した人に心底恐怖を覚える。ここまで人間をコントロールしきる制度は、いまだかつてなかった。なぜ働いてるものたちはこのからくりに気付かないのか、また、気付いたとしても何も行動を起こせないのか、それは彼らがバカだからである。汗と精液を流すことしか考えられない毎日を送っていれば、その脳みその腐り具合も容易に想像がつく。ギリシャ時代の思想家たちが労働を忌避したのは、それが必要に迫られて自らの意思に背いてまで行う行為であり、なおかつその作業の大半は単純な反復で、得られる知識など少なく、また思索を巡る時間の大半が失われてしまうからである。工場労働者だけではない。証券会社で働いて、日経新聞を流し読みしている姿はすごく知的だが、そいつの頭の中なんて、ハエかウジくらいしか湧いていないのだ。当たり前である。彼らの頭の中には株と女のことしかないのである。毎日同じ思考ルーチンをループさせるだけでは、知力が致命的に低下しきるのは必然である。人々の思考の破綻ぶりは、先日の皇室ああだこうだ騒動にも見られる。プログラミング言語の世界では、COBOLRPGなどという言語は、もはや化石であり誰も見向きもしない。そんなものを堂々と雑誌の特集で発表したりなどすれば、正気を疑われるというものだ。しかし、現実世界では堂々とそれが行われているのである。皇室に関する話題全てそれである。一流といわれる評論家たちが、あの時期には一斉に皇室をテーマに様々な論考を発表した。僕は唖然としたものだ。なにしろいたるところにCOBOLで書かれた文章が見られるのである。いいかげんにしてほしかった。皇室のくだらない古代知識を振りかざす知識人たちが邪魔でしかたなかった。僕が見た限り、例の件に関して唯一まともなことを書いていたのは、やはりこの人であった。引用させてもらう。

世界中の関心が注がれる祝福された運命。片や、親の存在も知らない少女…人間の運命は生まれ乍らにして決まるのだろうか…、今こうしている間にも、それぞれの運命を背負った子どもたちが世界各地で生まれている。平等という文字が虚しく響く朝だった。

こういう人を真に知識人と呼ぶのだ。あとはゴミである。自分の知識をひけらかして金を稼ぐことにしか興味をもてない彼らは、まさしくワーキングフールではないか?


労働とは回避できないものなのか?それはただの選択肢の一つではないのか?人生は長い。だが労働者にとっての人生は短い。なぜなら人の脳内において、同じ場所で行う同じ作業とは、同じ場所に上書き格納されつづけるだけだからだ。毎日毎日、同じ仕事をして、同じ家に帰って、同じ奥さんと、同じ子供と、そんな生活をしていれば、人生とはあっという間に終わってしまうのだ。何もせずに、何も残せずに。子供を残した?それは詭弁だ。子供は関係ない。あなたが何を成したかなのだ。その人の人生がどれだけ豊かであったかの指標とは、その人の立場や所有物ではなく、どれだけ脳に多くの記録を溜め込んだかなのだ。同じ場所に同じ情報を上書き保存しつづけるワーキングフールたちは、豊かなどではない。彼らは必死に笑顔を取り繕おうとするが、おいおい化粧がはげかかっているぜ?