童貞力の正体

「30歳まで童貞で過ごすと魔法が使えるようになる」この文言は登場するやいなや、全国の非モテや童貞たちの心を鷲掴みにした。科学的な根拠などなきに等しい。実際に魔法が使えるという実証者が現れたわけでもなく、かといって無視しきることもできない強大な魅力を備えていた。残念ながらこの文言は広くネタとして一般解釈され、テレビゲームドラゴンクエストに登場する呪文になぞらえてやれパルプンテが使えるようになっただとか、手を使わずに射精できるようになったとか、そういった文脈ばかりが傑出していた。今ではこの文言自体に新鮮味も刺激もなく、使い古されたAAと同程度に同用途に消費されていくのみである。不肖ながらこの私も、当時は魔法使い見習いとして、やがて訪れるであろう変革の時を心静かに待つ、若き童貞であった。ちなみに今も童貞であるが。頭がどうかしていた私は、冗談でなく本気で信じていた。魔法が使えるようになったらお城作って女量産してハーレムだぜうははと本気で思っていた。もちろんブームが去ると同じくして、その目に余る妄想ぶりに心に大きな空洞を作ったことは記憶に新しい。そしてそれから数年が経った。ちなみに今でも童貞である。ここ一ヶ月あまりの自らの身に起こった数々の奇跡を見るにつけ、私は人ならざるものの意思のようなものを感じている。思えば私はつい2ヶ月前までは、ただの引き篭もりニートだったのである。頭の悪い奴はプログラマになれなどというとんでもない社会に混沌をもたらすような記事に触発されて反発記事を書いたのがきっかけで、気がつけば地方から東京へ出奔しホームレスになろうとしている。生涯恋人だと確信していた右手はペニスではなくギターの弦を弾くようになり、部屋からはティッシュの箱が消えた。鼻は袖でかんでいる。ダンボール数箱分もあったエロDVDは全て処分し、朝から晩までショタ本ではなく専門書を読むようになった。人間の体というものは、顔以外はそれほど大差なくて、性器の形も触れた感触もほぼ同じであり、胸や尻の肉厚は違うだろうが、所詮そんなものは脂肪の多寡であり問題ではなく、したがって我々が性的に興奮するのは相手の顔であって、しかしそんなものは人体の容積総量からすればたかが知れていて、いくらそこに情報が大量に集中していようとも、ある程度慣れれば全て同じになるのではないかという考えがあって、実際に風俗嬢数人と戯れてみた結果、やはりその通りであるということを認識できた。それまでにゲームや漫画で見た世界で培った幻想とのあまりの剥離に失望しただけかもしれない。女の体は、思ったよりも温かくなかったし、いくら触ってもなんともなかったし、舐めてみたところで大した味もしなかった。もちろん最初の体験ではそうではなかった。ピンクローターを膣に出し入れしているときなんて最高に興奮したし、アナルに指を挿入してかきまわしているときなんて思考が吹っ飛んでいた。しかし、それだけである。険しい山に登頂したときがそうだが、そこからの展望は本当に素晴らしい。そこに至るまでに踏みしめた足の裏の痛みなんて全て消し飛ぶほど、頬を伝う汗の不快さが気にならなくなるほど、新鮮な空気。ちょっと酸素は薄いけれどほどよく冷たくて、都会の排気ガスや人間のよどんだ吐息など一切まじっていなくて。その瞬間自分は自分だが自分ではないような心地よさが四肢や胸を支配して。だが見てみろ。自分が今来た道を。またここを引き返さねばならない。するとまた昨日と同じような明日が繰り返されるだけだ。同僚の愚痴、上司の苛立ちの眼差し、女どもからの蔑視、いくつもの不幸の中のいくつかの幸福を見せつけられ、そして続くのだ。コンビニの店員の白けたあいさつと、値上がりするタバコと、何のセンスもない安いコーヒーの味と、老いていく自分の醜さと。どうすればいいのか。どうすればこの絶望から遠ざかれるのか。あなたがもし今山頂にいるなら、反対を向いてみることだ。今来た道ではなくて、その反対を。そこにはもう山はないだろう。戻る道と同じような下る道が続くだけだ。その先にはきっとあなたを潤す何かがあるのではないだろうか?もう山はいい。あの景色の素晴らしさは生涯忘れないが、しかしそれだけだ。所詮それだけ。美しいだけだ。そんなものに何の意味がある?次は川だ。その向こうには草原があって、その先には砂漠が広がっているんだ。もう綺麗なものなんて一つもないだろうが、しかしそれこそが人生なのではないのか?そう、これが魔法の正体なんだ。30歳というのはあくまで一般的な指標であって、個人差があるので全ての人に当てはまるわけじゃない。僕はオナニー開始年齢の初期値が低かったし、頻度も人よりも多かったから、人よりも早く辿り着いたに過ぎない。人の性欲は尽きることはないという。それは精神の活動であり、人として生きる限り無限の燃料が投下され続ける。しかし肉体はそうではない。オナニーのやりすぎで性感帯が磨耗し鈍磨し、性行為から快楽を得られなくなり、女性に対して魅力を感じなくなる。これが童貞力の正体である。これこそが魔法なのである。人類がいまだかつて逃れることのできなかった性からの解放である。昔から日本人は勤勉すぎると欧米から非難されてきた。勤勉さの正体はセックス回数の少なさである。統計にもあるとおり、日本人の通年セックス回数は欧米と比較して異常に少ない。それは日本人が働きすぎだからと解釈されているが、逆である。セックスしてないから働きまくるのである。セックスによる精神の充足が労働の効率にも寄与するというのは事実だが半分は嘘で、そもそもそれだけの精神の充足をもってあたるほど高度で知的な仕事というのは、限られた量しかないのである。大半の仕事は、そんな充足なんて必要なくて、どれだけ精神的な効率が低下しようとも問題ないものばかりだ。そんな状態をしばらくもすれば、セックスで本来埋められていた隙間を単純労働で埋めることなどたやすい。日本人が世界一優れた民族であるのは、セックスをしないからである。反論もあろう。男どもはセックスをしないかわりにいくらでも二次元でオナってるではないかと。だが上にも書いたように、それは童貞力が解決してくれるのである。それだけオナっていれば、もうその人の性器は生殖行為が不可能なレベルまでになっているだろう。彼らだって男である。いつまでも二次元で我慢できるはずがない。そんなにストイックな奴など存在しない。そして意を決してソープへ行ってみる。だが、すでに手遅れなのである。女性に挿入したところで、何も感じない。全く気持ちよくない。そうすると腰を振っている女性の姿を冷静に観察できるようになる。すると気付くだろう。セックスのあほらしさに。ソフトSMだとかイメクラなんてのがそうだが、男女が共に幻想の世界に浸っているから楽しめるのであって、どちらかが醒めてしまえば、途端にくだらなく虚しいものに変貌してしまう。セックス自体そうなのである。二人で作る共同幻想。どちらかが幻想に浸れないのなら、そんなものはもはや破綻である。そこから先が本当の世界である。漢の生きる道なのだ。幻想だと気付いたならもう二次元も必要ない。これからは一人で立てる。歩けるのだ!もちろん魔法使いとしては端緒についたばかりである。そこから先どの魔法を覚えるかはあなた次第だ。僕はプログラミングをやる。あなたは何をする?