東京プリズンと英語

少し前に日本マイクロソフトのde:code 2015というイベントに参加した。キーノートの一部は白人の英語で、会場には同時通訳機が配布されていて、皆が日本語翻訳の音漏れで迷惑だった。
キーノートの英語というのは、言う人もうまいし、シンプルにしてるのでとても聞き取りやすい。これさえも日本語にしないと理解できない日本人というのが悲しくなった。
その後英語オンリーの少人数セッションに出た。参加者が定員の30名にはるかに満たず、スピーカーの白人がさみしそうだった。おまけに日本人は質問タイムにもダンマリを決め込む。
こちらの英語もだいたい聞き取れた。英語学習の効果が実感出来て来て大変うれしい。
その後研修者的なポジションの人のセッションに出た。オブジェクト指向は死んだこれからは関数型言語だという話はありきたりだけれどオブジェクト指向の死因がスキル伝達性の低さにあるという指摘は面白かった。
オブジェクトレベルは人ごとに大きく異なり、オブジェクト指向言語はオブジェクトと関係は規定するけどその外側が無いから人によって全く違う書き方になりうる。その結果、誰にも教えることができない職人技化しやすいと。
そんなのは関数型言語のモジュールを使いましょうという話だった。誰かが証明を書いてくれているということがどれだけすごいか考えてみろと。

赤坂真理の東京プリズンから引用

『ピープルの、ピープルによる、ピープルのための、政府』、民主主義は、そのために人が戦って死んだんじゃない。あまりにたくさんの人が死んだから、創られる必要があった。そしてピープルはまとまった。そしてそういう神話はピープルの中から出てこなければ、ピープルが腹の底から望んだ神話でなければ、生き延びないし、人びとも生きられないのよ……死んでしまう、死んでしまう、私たちは死んでしまう。日本人は。神話がない。アメリカのくれた神話はいいものではあったけど、それでは長くは生き延びられない、私たちはそのとき、どうするの?私たちは死者に何をしたんだろう、私たちは死者の上に住んでいるのに、死んだ人にどんな栄誉を与えられた?もう戦争は繰り返しませんと呪文みたいに言うこと?あれが過ちだったと言うこと?では過ちのために死んだ人はどうなるの?死んだ人が徹底的に無意味だ。あんなにたくさんの、死んだ人たちはどうなるの?

ここでいうアメリカがくれた神話とは日本国憲法のこと。日本の憲法ソースコードは何で書かれているか?英語ですと言われて小学生達は何て思うだろうか。
日本語の憲法が英語の文書の翻訳だと日本国民全員が小学生で習っていたなら、私たちは何になれただろうか。
赤坂真理サンの指摘はものすごい。そうか、私たちってもう長くは生きられないのか。

去年のgoogle ioの1セッション
ここでは韓国人と日本人がスピーカーをしている。この二者の英語レベルを見ると日本人の本質がよくわかる。
ruby confのMatzサンのkeynote
彼もずいぶん長いこと英語を勉強している様子。

これまでに英語でまともなスピーキングが出来る日本人を見たことが無い。私たちはもっと理解しないといけないと思う。私たちの国の憲法は英語で書かれている。私たちは長くは生きられない。
私たちはもう日本人の皮をかぶるのをやめないといけないんじゃないだろうか。